ちょっと長めのツイート

お気持ちを配信しています

どこを見ている、何が見えている

 

◆『少女☆歌劇 レヴュースタァライト 劇場版』をバルト9のレイトショーで見た。ゆうっと登った朝日に白む新宿の街を、その空のようにぼんやりとした心で歩きながら、ぐちゃぐちゃの感情で吐きそうになる。人と人とが愛や性とで想い合う苛烈さを、羨み、嫉んで、身を焦がしては、終わりも近づくコロナ禍と21年に、空っぽな自分の現状を嘆いた。

    それはまだ11月3日のこと。ちょうど誕生日を迎えた妹に「おめでとう」を送れば、自然と彼女の次の一年が思い起こされる。自分より2歳若い彼女には何が見えているのだろう。今の私には、何も見えていない。

 

◆11月8日、週頭の月曜日に、射抜かれた。

    デカいことがしたいと口では言いながら、一切その具体性を言葉にできない。隙を見てはこうしてお気持ちを言葉に残そうとあくせく努力しているくせ、結局、”過去”か”今”ばかりだ。明日のことも、下手すりゃ1時間後のことすらろくに考えられない。

    件の彼女とその後会えた。本当は”きっと”や”願わくば”の話をするべきだったが、私たちは執着の話をした。心は”この前”や”あのとき”の美しさにばかり揺れ動かされ、そして巡る。ロンド・ロンド・ロンド……。

 

◆娯楽のために夜を超え、色恋のために夜を駆け、今月は4度も朝日の到来を目にした。愉快痛快は人の数だけ遍在している。しかし日が照っている間はどうにも影に潜んでいるらしい。「楽しい」が知りたくて、寝る間も惜しんで溺れていく。

    体は段々と老いていくけれど、頭は依然と、ともすれば息を吹き返すように、若さを誇示している。やがて宵越しの猛烈な倦怠感が体を包んでも、頭は冴えるばかり。不幸にも眠りは浅くなり、まやかしの多幸感が体に鞭を打っている。

 

◆新しい世界だと思って進んだ先が、本当に光に満ちた場所かどうかはわからない。

鯨

    陸に登ってしまった鯨に何が見えるのか。今私が惹かれている光が希望でないとすれば、また執着になってしまうのか。

    今立っていること、今立っている場所が”現在”だったとしても、見つめている先が時間軸に関して”正”の向きなのか、判然としない。眩しい方へよぼよぼと歩いている無様は、ピアニッシモな進展か、執着を再演するロンドか。