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縁の繋ぎ目・縁の切れ目

 

◆この二月に二回、友人の結婚式に招待されて参列した。結婚した二組四名全員のことを高校生時代から知っていることもあり、非常な多幸と感慨深さとがあった。

 

◆親しい友人が、着慣れないであろう眩い礼服やドレスに身を包み、やや強ばった表情でその道を歩く様は、どこか可笑しくもあったし、しかし輝かしかった。まいった、写真フォルダがパンパンである。

    不思議なことに私の母校では、なんでもない日でも一眼レフを振り回している生徒がクラスに一人はいたので、十代そこいらの青くさい写真が今でもわんさか出土する。翻って、式で撮った写真に映るのは、大人の振舞いや魅せ方を身につけた友人たち。十年はしっかり流れていた。

 

 

◆当たり前だけれど、高校を出てからの十年、彼らと逐一会っていたわけではないし、普通は先の進路で新たな出会いを通じて新たに友人を増やしていって、古い友人との付き合いは疎遠になっていくものである。結婚にしたって、基本的には新郎か新婦、どちらかの友人として参列するもので、相手のことは知らない場合が多いのだろう。

    そんな中で、私から見て、親しい友人と親しい友人が結婚するというのだから、こんなに嬉しいことはない。最高ハッピー。

    出会った当初から彼らが結婚するとは到底思ってなかったし、その式に呼ばれるほど自分が仲深くなれたのも結果論かもしれない。でもどこかで何かがあって、今日まで続く縁ができた。

    そうすると、結婚式というのは、新郎新婦が主役の一大イベントではあるけれど、新郎新婦と参列者一人一人の「縁の繋ぎ目」を示す儀礼でもあるのかもしれない。

 

◆一方で、不思議なことで、その「縁の繋ぎ目」たる結婚式で「縁の切れ目」を感じることもあった。

    二組目の結婚式は、同じクラス・同じ部活で結婚したものだから、参列者同士もプチ同窓会のようになった。そんな中で、ある一人が別の一人に向けて「もう二度と会うことはないだろうね」と話していたのが妙に心に残った。

    プチ同窓会と言っても、顔も名前も覚えているけど当時からそんなに話もしてないしな、くらいの人はもちろんいる。そういう人とも縁ができるというところが「学校」のすごいところで、そこを出てしまった今、その縁はとても希薄だ。

    あの言葉は確かに「縁の切れ目」だった。二人は本当にもう二度と会うことはないだろうし、それは二人になんら不利益や不和をもたらさないだろう。ただ、縁が切れる瞬間を見た衝撃は大きかった。

 

◆結婚にいたることもあれば、もう二度と会うこともなくなる。縁は偶発的にできるくせに、変に長く持って、しかし意外と簡単に切れてしまうものなんだと、たった一日でわからされた。

    結婚式の話題で縁の切れ目の話なんかするなというところだけれど、この度の新郎新婦の皆様には、どうか末永くお幸せにあってほしい。そして私との縁についても、これからもどうぞよろしくお願いしたい。この縁は、決して切りたくないので。