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27歳も、子どもみたいに

 

◆老いて体力を失っていくという、10, 20歳離れた先達からの金言を聞きあきるほど受け取りながら、今年も1つ歳を重ねてしまった。確かにみるみる体は衰えているが、よもや精神的にも老いるとは聞いてはいなかった。

 

◆4月頃から仕事が指数関数的に忙しくなり、毎月残業規制目いっぱい、夜勤や休日出勤もあったりして、いつを生きているのかわからない不毛のスケジュール。娯楽を楽しむ心の余裕も失われて、近頃では漫画もろくに読めていない。

    それでも心躍ることは多かった。今年に入って同期たちの入籍の嵐。15歳の幼きを知っている彼ら彼女らが、大人の顔をして誇らしげにリングを輝かせる様は、とても喜ばしく、どこか気恥しさもあった。

    おめでとう! 本当に嬉しいよ。男子三日会わざれば、とは言うけど、十余年も経てば男も女も関係ないね。

 

◆先の記事の通り、私も彼女と付き合って1年が経った。彼女のこともまた、15歳の頃から知っているし、それは私を見る彼女も然りだ。

    周りの友人たちはやけに大人びて見えるけれど、翻って私たちの過ごした日々は、高校生だったあの頃とあまり大きく変わらないように思える。車を回し、お酒を飲むようになったけれど、あの頃より少し楽しめるものが増えただけで、それらを楽しむ心持ちにはあまり変わりがない。

    老いたはずの体も心も、彼女といるとたちまちあの頃に若返るのだから、こんなに愛おしい時間は無い。

 

◆不可逆だったはずの時間が、ある一時だけリスポーンする。この感覚を知って、ようやく大人になったと言えるのだろうか。

    ここ数年は歳をとるのも見栄えがしないというか、30歳になったら何か思うところもあるかもだけれど、26歳が27歳になってなんだという? 

    ただ、その感覚を知るためにある程度の加齢が必要だというなら、なるほど、歳をとることも、過去を懐かしみ、あの頃と同じように振る舞うのも、悪くないのかもしれない。

 

◆8月5日の夜、山梨は石和温泉駅前で食事を終えて外に出ると、夜空の遠くにぱぁんと何かが爆ぜる音がした。どちらともなく私も彼女も、音の鳴るほうへ走っていった。

    開催を知らなかった花火大会にたまたま立ち会えた。ローソンの駐車場には近くの旅館からわらわらとお客さんが集まって、みんなで一緒に同じ方向を、闇に煌々と輝く花火を見あげた。

「花火に向かって走るなんて、子どもみたいだね」

    あと数時間でまた1つ歳をとる私に向かって、彼女が笑ってそう言った(マジで言った)。そうか、いいんだ別に、子どもみたいでも。楽しいんだから。

    くだらない毎日でも些細なことで楽しめるように、これからも童心をキラめかせていこう、あの花火のように。

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