ちょっと長めのツイート

お気持ちを配信しています

反芻の血

 

◆どうも私は同じ話を何度もするきらいがあるらしい。

 

◆常に孫の愛しさばかりを考えている祖母などは、私の可愛かった頃の話を幾度となく聞かせてくれる。その度に気恥しさに身悶えし「その話もう54739046回目だよ」と言ってしまいそうになるけど、私は可愛い孫なので何度でも親身にその話を聞く。

    父もまた同様に、近頃の社会情勢やスポーツの話など、あまり私には興味がないことを情熱的に語る。無下に扱えないできた子供なので、適当に相槌を打ちながら知識だけ頂戴していく。

    どうしてこの人たちは同じ話ばかりするのだろう。傍目に見ると他に話すことのない残念な人なのだけど、その「反芻の血」は脈々と私にも引き継がれていた。

 

◆十年の付き合いがある旧知のオタク相手ともなると、新しい話よりも過去の栄華にすがることが多かったりする。いまだに週一程度に会話をする仲だったりするから、特に話すことも増えないというのもあるが。やれあのVTuberが燃えているとか、あのオモコロの動画がよかったとか一通りその週を振り返り終わると、途端に虚無が襲ってきて、その穴を埋めようと同じ話ばかり繰り返してしまう。

「その話もう43287861回聞いたわ」   

というのをお互い幾度となく口にしたし、その言葉を回避することがなかなかできない。

    旧知のオタク相手じゃなかったとしても、たいてい私は思ったこと感じたことをすぐツイートするし、あるいはこうして文章に表すので、久しく会う人間にも「それツイートで見たよ」と何度も言われる。今こう書いたとしても、明日以降会う人間に私は「『三文小説』を聴け」と口酸っぱく言うのだろう。

 

◆第一このネタも三年も前に書いたネタを擦ったものだし。面白い話は残しておきたいと言葉にすればするほど、いざ人と向かいあったときに話すことがなくなっていく(あのエントリ読んだよと言われればそれはそれで嬉しいけれど)。

    とはいえ、ネタは擦れば擦るだけ面白いというのは大阪の芸人さんが長い歴史のなかで証明してくれたことだし。この先も私は何度も同じネタを擦り続けていくだろう。味がしなくなるまでガムを噛み続けるように、きっと反芻をやめることはない。

 

◆趣味でお気持ちブログを始めた結果、母校の同窓会記事や文学フリマへの寄稿というご縁も生まれた。私が死んでも残り続ける名前が世に溢れているというのは、本当に嬉しい限りである。

「2020年は月2本必ずお気持ちを書いていこう」という目標を、三日坊主が達成しようとしている。上を見ればよなかさんなどは毎週『月曜日の理屈』を書いていらして、私もまだまだなんだけれど。

    年の暮れが近づいて、間もなく私も社会人へとステップアップ(ダウン?)する。忘れたくなかったことは全て残してきた。これからもこの癖は直さず続けていきたい。