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愚痴のごみ箱

 

 

◆イキりオタクだった高校生時代、ここぞというときに使っていた言葉を表題に持ってきました。懺悔と要求をします。

 

◆私は話し手にはなれない、だから聞き専に徹する、みたいなことをずっと昔に書いた(まだフォーマットが完成してない頃の文章、恥ずかしいな)。

    あとに聞けば、母も妹もどちらかと言えば聞き専らしく、これが血筋かと思う一方で、面白くない家族だなあなんて悲しさも少しあった。

 

◆当時から人とサシで話す機会は多かった気がする。聞き専をしているうちにだんだんと欲が出たのか、それとも腐った性根が露呈してきたのか、惚気より愚痴ばかりを好んで聞かせてもらうようになった。

    もちろん惚気話だって好きだけど。濃度密度が圧倒的に違う。人はどうして、嫌味を愚痴をと口を開くと、よく舌が周り目は光るのか。

 

◆少しだけ真面目な話をすると、私が誰かを嫌いになったことがないのも一因かもしれない。苦手な人はいるけど、そういう人には感情が無なので。自分には湧かない感情に触れるのは、未知との遭遇じみた新鮮さがある。

    そういった点でもやはり惚気は愚痴に劣る。LoveやLikeは私も抱く感情だから。

 

◆さて表題である。「愚痴のごみ箱」は自身を例えた比喩だ。久々にCtrl + Bをするけどなんとまあ厨二臭さのキッツいことよ!

    しかしそれを言えば、私が謙遜したと相手は捉えてくれたのか、さらに楽しい話を聞かせてくれた。「愚痴のごみ箱」がどういう流れで思いついた言葉なのか思い出せないけど、それを使うようになった頃から、聞き出し方について少し狡猾になったような気がする。

 

◆現在はきちんと自分を理解した。やっぱりうらつらみが聞きたい。妬み嫉みが聞きたい。愛憎相半ばするなら憎を聞きたいし、純愛よりも肉欲を知りたい。下等な下衆だ。

    いやだって愛は始まるまでが一番面白いんじゃんというもうひとつの思想があるが、これはまたいつか。ハイカロリーはいつでもウェルカムなので、誰か楽しい話を聞かせてほしい。