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怖い「知らない」

 

◆興味関心を生きがいとしている私にとって、「知らない」ほど恐ろしいものはない。

 

◆24年間の人生の中で何度も共用トイレを使っていたのに、サニタリーボックスのことを知ったのはつい最近だった。そもそも生理のことについて、恥ずかしい話だけれど、いまだに「非常に辛いもの」みたいなふんわりした理解しかない(それさえ理解していれば、男性にできることとしては十分なのかもしれないけれど)。

    男性が男性として一人で生きていると、ただ生きているだけではどうしても知りえないことが多々ある。先に書いたようなことも、年齢に見合った女性との付き合いをしていれば、あるいはどこかで知り得ていたかもしれない。

    当事者意識を持つことができないものについて知識がない場合、私の場合は過剰に配慮する方へ転ぶので、結果として今までまずいことにはならなかった。ただそれも結果論なだけで、生活レベルの無知は本当に身を滅ぼしかねない。

 

◆粉塵爆発やデーモン・コアみたいな「オタク教養」ばかりどんどん積み上げられて、生きていくために必要な知識ばかり不足している。地元の「燃えるゴミの日」さえも知らないという情けなさ。

    もう半年もすると一人暮らしが始まるのだけど、こんな体たらくで大丈夫かと親にも心配されてばかりだ。しかしいつもの無根拠な自信は、相変わらず元気に「同い年の大学生が出来てるんだから私にできないわけないでしょ」などと呑気なものである。

    教養を積むというのは、生活に必要な知識を常識にまで昇華した上で行うべき娯楽であって。それをわきまえずに知識を集めても、非常識なオタクという怪物ができあがるだけだ……

 

◆他方で、私の知識が人を助けることも稀にある。先日ようやく我が家にFire stickが導入され、もともと映画好きな両親は心底ご満悦のようである。ささやかながら親孝行ができて嬉しい(代金は母持ちだったが)。

    あまりにも情報がありふれたこの社会で全知全能などありえないのだから、こうして相補的に助け合うことが人間の本分なのだろう。自分の無知を笑われたり怒られたりすることは苦しいけれど、そう思うのならば、相手の無知にも寛大でいようと改めて思い直した。

 

Twitterで話題になったキスマークも、そのときまで本気で口紅の跡だと思っていた。そういう「しょうもないけど経験がものをいうこと」で恥をかくことがこの世で1番心にくる。かといってこの先キスマークをつけあうような人ができるとも思えないし。弱々でおセンチな心を守るために、今日も私はコンテンツから知識を得て、理論武装を施していく。