ちょっと長めのツイート

お気持ちを配信しています

俺を好きなのはおばあだけかよ

 

◆常々「人を好きになる」ことがわからないと言っている。一方で、そこに利益の発生しない「無償の愛」みたいなものについては、よく知っている。

 

◆父方の祖母はまもなく90歳になる。身体にこそ老いはあれど、毎日日記を書き、しっかり受け答えができるなど、闊達な人である。

    夫(私の祖父)にはかなり早くに先立たれてしまったためか、私と妹の2人しかいない孫を、それはもう溺愛してくれた。私たちの一挙手一投足を褒めに褒め、1度たりとも叱ることはなかった。

    血が繋がっているとはいえ、自分が産んだわけでもない子どもをどうしてそんなに愛せるのだろう。子どもが欲しいと思えない私には、それが不思議でならなかった。

 

◆信仰心もないのでいまいちよく理解していないが、キリスト教圏にはアガペーという考え方があり、Wikipediaにあるものをそのまま引用すれば『神から人間に注がれる無限の愛』を指すらしい。

神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。

アガペー: Wikipedia

    うぅん、まさしく祖母のことだなあ。ひょっとして祖母は現人神なんだろうか。たった2人の孫だけに注がれるアガペー。なんとも限定的な神様だ。

 

◆両親もまた子どもである私と妹を十二分に愛して育ててくれたけれど、祖母のそれが両親の比にならないことは、両親ですら理解している。いつだって自慢の孫だと声高々に喧伝している。凡庸な私の何を見てそう思うのだろう。

    驕りも甚だしいことを言えば、あるいは凡庸であることこそが、祖母が私たちを神格視するほどの理由たりえるのかもしれない。確かに私も妹も、道理の外れたことをせず、学業や就職においても筋を通し、社会的な動物としての役目は全うしている。人の道を外れるような人にはならなかったことだけで、それだけで祖母としては自慢の孫と言えるのかもしれない。

 

◆だったとしても、仮に私が未来の孫を愛するとして、それだけの理由であれほど溺愛できるかと聞かれると返答に窮する。血の繋がり以上の何かが祖母の「祖母性」(母性の祖母ver. 的な)をくすぐっているんだろうか。

    お前も子どもを(孫を)持てばわかるよとよく言われるが、その気持ちを理解もできないまま丁半博打を打つことが怖くてならない。そうして祖母のアガペーを一心に受けながら(内心怯えたりもしつつ)、今日もすくすくと育っていく。