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「善意」を跳ね除けて

 

◆ひたすらリスクから逃げ続けているだけの状況を「スルースキルが高い」などと嘯いて。本当はしっぺ返しが怖くて虚勢を張っているだけのくせに。

 

◆「正義マン」たちが今日もポリコレ棒をぶんぶんと振り回しているのを、私は華麗に回避し続けている。年齢とか性別とか、美醜とか年収みたいなのも、現代ではこれが「正義」とされるものに味方さえしていれば、とりあえず殴られることはないじゃない。

    これがもし当事者になったら、弱い私はきっと差別や偏見だってスルーしてしまうだろう。あるいは自分がされる側になったとしても、アハハと笑える自信がある。それを差別だと感じるための痛覚が、人よりずっと鈍っているから。「男のくせに170もないの?」「さすがA型は几帳面だね」「24歳にもなって彼女の1人もいないなんて」 どう? おもしろいでしょう???

 

◆生きていると度々そういう壁にぶち当たる。対処方法は人それぞれで、努力してそれを乗り越える人もいれば、その壁をぶち破って新しい道を見出してくれる人もいる。私は? どうにかして壁の横から遠回りしようと画策するし、それができないなら、迷わずUターンを決める。

   大志を成せないなら、多少苦労はあれど先人たちが敷いたレールを通るのが1番楽だというのに。結婚や高年収といった「典型的な社会的成功」「人生における1つのゴール」みたいなものさえリスクだと感じてしまう。このままでいいやと牛歩で進む私の横を、体感音の速さで友人たちは駆け抜けていき、大人になっていく。

 

◆父のような「父」にはきっとなれない。怖い。妻という他人を娶るのも、自分の血が流れる新しい生命を創ることも、それなりの企業でそれなりの肩書を貰い部下の責任を背負うことも。心根から震える。怖くてたまらない。

    でも多くの人はそれをやり遂げている。運転免許証を取るかのように、判を押すように、出来て当然と言わんばかりに。エンゲージリングを輝かせて、仕事にやり甲斐を感じている。

 

◆望んでこの生き方を決めたにしても、他人にどう思われるかまでは私には決めきれない。本当に苦しいのは差別や偏見なんかじゃない。親から妻や孫を望まれ、友人から独身貴族を羨まれるような、一点の曇りなき「善意」だ。

    私の「スルースキルの高さ」は、この先どこまで耐えられるだろう。私の生き方が私の「正義」だと、言い張り続けられるだろうか。その答え合わせさえもまたリスクなので、何十年と後回しにして。

    逃げ続けてやる。君らの「善意」も跳ね除けて。我が生涯に、とラオウが如く天に拳を突き立てて死んでやる。もし途中でひよって後悔でもしはじめしたら、そのときは指を指してゲラゲラと笑ってほしい。