ちょっと長めのツイート

お気持ちを配信しています

ほんのわずかなきっかけひとつ(2022年を振り返って)

 

不定期に続けているこのブログも6年目になった。始めた頃は大学生だった私も、社会人2年目、すっかり仕事にもなれてしまった。

 昨年の年末お気持ちを読み返してみると、それはつまらなそうな日々を送っていたようだった。今思い返してみても、去年、何をしていたのかよく覚えていない。無為に日々を過ごしていたことだけはわかる、何も覚えていないのだから。

 

 翻って今年は、というほど大きな出来事があったわけではないけれど。ただ1つの些細な変化が、劇的に人生を彩り豊かにした。あの月はどこで何をしたということを、年末になっても鮮明に思い出せるくらいに。

 

◆言葉にするとひどく恥ずかしいけれど、今年の下半期はずっと彼女のことばかりを考えていた。

    高校を卒業してからずっと、なんとか思い出さないようにしては、しかし年に1, 2度思い出してしまうタイミングがあって、そのたびに身悶えた。あの頃の夢か妄想のそれみたいなことが、日常になった。調子に乗って、浮かれてしまうのも仕方ないだろうと、自分で自分を許している。私の10年を知る友人たちからは「高校生みたいでおもしろいよ」と言われた。楽しんでもらえているなら結構。

 オクトーバーフェストやクリスマスなど、カップルらしいベタなことを一通りやることができた。ベタなこともベタにやると楽しい。そういうイベント類をやらないと、日々がただ「過ぎ去るもの」になってしまうという言葉を見て、なるほど今年は、きちんと未来に印象を残せた一年だったなと思う。

 

◆今年、Instagramを始めた。偶然始めただけで(Twitter消えないで)、使うことはないだろうなと思っていたけれど、付きあいはじめてから写真を撮る機会がぐんと増えたこともあり、投稿もそこそこの頻度で発生し、それなりに楽しめている。

 

 それでもやっぱりTwitterの方が好きだし、写真より言葉の方が好きだけれど、それぞれのサービスを上手く使い分けている人もいるし、投稿内容について「Instagram向き」「Twitter向き」というのもわかってきたする。依存先を増やすことは精神衛生的にも大切らしいし、写真も増えていく一方なので、今後ものんびり使っていきたい。

 

◆彼女ができたり、Instagramを始めたり、同世代が何年も前から当然のようにやっていることを今さら始めて今頃キャッキャ言っている幼い自分だけど、いろいろ始まった、始められたと感じられる一年でもあった。去年末の自分には想像しえないと思う。

 物事を変えてしまうのはほんのわずかなきっかけひとつだった。それも偶発的なものだったのか、あるいはいくらかの徳を積んでいたのかもしれないが。そういうチャンスは目には見えないけれど、発生確率をあげることが大事なのだろう。勝機を零すな、掴み取れ。

 来年も新鮮な一年になるといい。今年よりもずっと楽しい一年になるといい。毎年毎年、この時期になると来年への期待を口にはしているけれど、今年はより一層の想いがあるし、そうなるかもしれないという希望もある。

 間違いなく、人生で一番幸せな一年だった。来年も、随所でチャンスをものにして、小さく小さく変化していきたい。

 

 

 

愛している

 

◆あの高校にはクラス替えがない。3年間を同じクラスメイトと過ごす。各々、小中高どの時点から入学したかの差はあれど、私が所属したあのクラスは、初めて出会ってから今年で10年になる。

「十年ひと昔」というくらいで、26歳になった私たちは少しばかり大人びて、まもなくやってくる30歳の現実に怯えながらも、少しずつ今を受け入れ、前へと進んでいる。

 

◆高校のクラスの同窓会をここ5年ほぼ毎年開催している、半数以上が現地参加する、残念ながら行けないという人も含め、ほぼ全員と連絡がつく。

    なかなか珍しい、というより、かなり奇跡的なことだと思う。遠方に住んでいて久々に顔を合わせた人とも、あの頃と同じように笑いあい、語りあえる。とても素敵な人たちに囲まれて思春期を育ったんだなと、改めて痛感する。

 

◆結婚した、出産した、今こういう仕事をしている、こういう研究をしている。苦楽の多寡は人それぞれなれど、それぞれの人生を謳歌していた。

「君のブログ読んでるよ」と、何人かにも言ってもらえた。かなり私的なことばかり書き連ねてきたゆえ、小っ恥ずかしさももちろんあるけれど、なんだか私の人生を肯定されたようで、素直に嬉しかった。

 

◆近況報告でようやく、クラスメイトの皆に向けて言いたかったことを言うことができた。

    Twitterで発信していたこともあって、結構な人にすでに知られていた。知らなかった人にはとても驚かれたけれど、しかし心からの祝福をいただけた。

    同窓会のその場で上のエントリを読まれ、特に「10年前に出会って~」のくだりを目の前で復唱されて。幾分の照れもあったけれど、そのとき感じた思いの丈を書き残せていること、それを皆に知ってもらえていることは、感慨深いものだった。

 

◆焼酎のロックを5杯、ワインを2杯飲んで、いい感じに酔いが回っている中、同窓会参加者の中で唯一終電を逃し(バカか?)、池袋のシーシャバーで煙をくゆらせながらこれを書いている。

    私のTwitterのbioの「場所」の部分には「ぬるま湯」と書かれている。あの高校のあのクラスのことだ。ずっと居心地のいい過去に浸って、あのときが人生のピークだったと言うかのように、もはや余生を過ごすかのように、今を生きている。

    私と同じようにあのクラスの内々で人生をやっている人もいれば、あのクラスを過去とわりきって、新しい人生を進んでいる人もいる。それぞれの人生があり、そのどれもが美しかった。

 

◆あの「ぬるま湯」 を愛している。これからも愛し続ける。あの日あの時、彼らと出会えた奇跡に、彼女と出逢えた運命に、著しきれないほどの感謝を抱いて。私もまた次の人生に目を向けていく。

    こんなに直情的な文章は、あんなに心地いい酔いに溺れてしまったせいだと言い訳をして。池袋西口カラオケ館のネオンのぎらつきを横目に見ながら、ゆっくりと始発の電車を待つ。

 

    もう何時間もすれば朝日が登る。新しい1日がまたやってくる。

    

「理想」を見せつけて!

 

          ◆

 

    定期的に自分が書き残してきたものを眺める。その中で1つ、何もかもが未熟だった私の全てがそこに残っていた。

    5年半前のお気持ち。当時私はちょうど20歳だった。あの頃へのアンサーとして、あの頃恥ずかしくて書けなかったことも含めて、26歳になった私の「今」を返していきたい。

 

          ◆

 

    このひと月で、三組のカップルと出会った。

 

    付き合ってる期間も知り合い方もまるで違う3組なので、三組三葉の仲睦まじい姿があった。私がまだ誰とも築けていない、二人だけに許された距離感にただただ憧れた。


    この3組のうち1組が誰のことを言っているのか記憶が曖昧なのだが、1組はこのあとすぐに結婚し(すでにしてたかな?)、もう1組は今も付き合っている。あれから5年半経っていてこれはとても素敵なことだ。羨ましい限り。

 

    非リアをステータスとし、その自虐ネタで星が飛んでくることを良しとするTwitter人生だった。まるで、非リアであることに命をはっているのかと思われそうなくらいに。
    今でも彼女が欲しいかと言われると怪しい。彼女なんてめんどくさいだけ、とはさすがに思わなくなったが、率先して作りたいと思っていないあたりは進歩がないなぁと情けなく思う。


    当時は本当にそう思っていた。大学に入ってからもたくさんの女性に会ったけど、高校の頃、馬鹿みたいに、盲目に、今の彼女に対して抱いていたような恋慕の情が、どの女性にも全く湧かなかった。まあ今の彼女のことをずっとひきずっていたこともあるけど。

 

          ◆

 

    よく彼氏/彼女がいる人とサシで話す。そういう機会が本当に多くて、その経験から私恋愛知ってますからと錯覚しているような男が私だ。本当はピーマンのように中身がない、申し訳程度の中綿があるだけだ。
    私のことはさておき、そういった場でその人に彼氏/彼女とどうですかと聞くとどうにも愚痴ばかりなのである。延々と惚気を聞くよりは聞きがいがあるが、お独り様のピーマンとしては、今後に活かせそうな経験談として惚気も聞きたいんだけどなあと思うのである。

 

  恋愛話における愚痴についてはかなり聞いてきた自負はある。はたしてそれを今に活かせているかはまだわからないけど。愚痴こそ活かせるはずと今は思う。彼女に愚痴られないような彼氏になりたいわね……

    しかし三組のカップルをじっと見ていると、その一挙手一投足が私のずっと憧れ続けている「理想」であることに気付かされる。ずっと聞きたかった惚気は眼前で堂々と繰り広げられていた。
    パーソナルスペースをものともしない自然体なボディタッチ、目と目で通じる何か、額が触れ合いそうな顔の距離感。こうも鮮やかに形づくられる「理想」を前に、昔なら心の奥でそっと中指を立てていただろうが、今はただ赤子のように親指くわえてないものねだりである。
    惚気話をしないのは独り身への遠慮かと思っていたが、こうして視覚的に惚気を見せつけられると、幸せを語るのに言葉は無力だなと思い知らされる。

 

「幸せを語るのに言葉は無力」というのは、なるほどいいこと言うなあと過去の自分を褒めたくなる。視覚的表現の方がよっぽどわかりやすい、婚姻届に指輪を2つ並べたりね。

    先日もそういったツイートを見たばかりで、素敵滅法、あるいは羨望といったばかり。何が言葉で惚気がどう、みたいなところは、常に思いあぐねるところ。

 

          ◆

 

    映画好きの酔いどれのおっさんに「お前はスプラッタばっか観てないで恋愛モノも観ろ」と説教された。
    それはその通りなのだが、これだけ素敵なノンフィクションを見ているのだから、恋愛映画を見る必要を感じなくなってしまう。
    恋がしてえ。私もリアルなノンフィクションを演出してえ。そう思うほどに、このひと月はいい恋愛映画をたくさん見たような満腹感がある。もし彼女ができたら私はその幸せを言葉にできるだろうか。きっと私はオタクだから「優勝!」くらいしか言えないだろう。

 

    5年半後に「優勝!」するとはつゆにも思わず、20歳の私の青臭い部分がこれでもかと出ている。こういう未熟な部分が言葉で残っていると、少しばかりは熟れたであろう自分を見つめ直すいい機会になる。

 

          ◆

 

    あの頃「理想」を見せられて、うぎゃうぎゃいいながら羨んで、妬んだものが、今ようやく見せつける側の立場になれた。

 

    彼女と連れ立って会ったことのある人は今のところ6人。どうやら11月には高校のクラス同窓会があるようで、さあいよいよ、次は私が「理想」を見せつける番だといきりたっている。

    そうして「理想」が連鎖していけばどれだけいいだろう。その一助を担うことができたらいいな。

    

夏が終わっていきますね

 

◆8月に私の、9月に彼女の誕生日祝いをお互いにして、いつのまにか付きあいはじめて2ヶ月が経ちました。相変わらず夢見心地です。

 

◆10年来の片思いが叶うというの、あまりにも漫画すぎてちょっと調子に乗ってしまっている。そんなことがあっていいんでしょうか。あったんだから許してほしい。

    もう26歳だし、付きあって年が浅いとはいえ高校のクラスメイト、お互いを知ってからは長いので、落ち着いた感じでやっていくのかなと思ってはいたんですが、意外ときちんと付きあいたてのカップルをしています。浮かれてるよ。悪いか。

 

◆いかんせん私が思い続けていたところもあって、振り向いてもらえたとはいえ、まずはもっと好いてもらいたいわね……って感じだったのですが、思いの外、好いてもらえているようで壊れてしまいそうです(Twitter見てないって言ってたしバレないはず、バレないで……)。

    8, 9月の夏の間も結構頻繁に会ってもらえて、楽しくあちこちデートをしました。こんなに楽しい夏はなかったです。ずっと続けばいいのに。

 

◆ずっとオタクだったので、iPhoneのストレージに二次画像やネタ画像しか入ってなかった。それが、行った先の街や彼女の写真が増えてきて、本当に私の写真フォルダなのかよって感じになってきた。

    Instagramやる人の気持ちがなんとなくわかってきたけど、10年代のインターネットを生きてきたので、顔出しの写真をあげたいとは全くならないままだ。というか、長らく自虐でふぁぼを稼いできた悪い癖もあり、惚気けるのもこっぱずかしい。オタクの悪い所が全面に出ている。

 

◆でも少しはそういうことしたいじゃん!

 

◆ので、これを書いてる。ちょっとは上手く惚気られたのかしら。

    そのときそのときに覚えた感情は写真では見ることができない。それを後になっても思い出せるように記しておこうと思ってこのお気持ちブログを始めたんだった。惚気にしたってそうじゃない。私は私らしくこれからも言葉でやっていくぞ。

    また都度なにかあったら書いていきたいなと思います。あたたかく見守ってくれれば幸いです。よしなに。

26歳

 

Twitterは見てないと言っていたので、好きに書いていく。そのまま見ないでくれ、頼む。

 

◆今年の頭にやったばかりだったのにまたご報告してしまいました。

 

    高校の同期と言っていますがクラスメイトです。10年前に出会って、10年前から好きだったんですが、今になって付き合い始めました。

 

◆100本以上もお気持ちを書き散らし、あるいはしょうもないツイートをし続けていたのですが、彼女のことを書くのはずっと避けてました。それくらい引きずっていたので。

    それが急に事が好転して、付き合うにいたったので、本当に浮かれています。恥ずかしいくらいに。 

    ただ、こういう高校1年生みたいな青さを、後でちゃんと思い出せるようにしようと考えてこのブログを始めたはずなので、ちゃんと残しておこうと思います。そして後で愧死(きし: 恥ずかしさのあまり死ぬこと)する。

 

◆で、昨日8/6は誕生日だったのですが、人生で初めて彼女にそれを祝われるというイベントを体験できました。

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    日本酒用の江戸切子のグラスと、とんぼ柄のキーホルダーをプレゼントとして頂きました。最近は歳を取ることにも後ろ向きだったのに、こんなに嬉しい誕生日はかつてなかったかもしれないですね。

     プレゼント含め、誕生日の一日を付きあってもらって、本当に楽しかったです。そして今日8/7は休日出勤でした。本当に最悪です、お疲れ様でした。

 

◆話がちょっと逸れますが、26歳になりました。アラサーというには二十代すぎるけど、まだまだ二十代と言い張るには重ねすぎなような、そんな半端な年齢。25歳が26歳になるプラス1歳自体は、正直感慨は薄かったですね。

    今年の夏は目いっぱい暑いかと思えば急に涼しくなったりして、なんだかひどく忙しい。そんな感じで今年も何となく夏を終えていくんだとばかり思っていたのに、毎年書いているこの誕生日雑記が、まさかこんな「にやけ顔一面」みたいになるとは夢にも思いませんでした。

 

◆ぼんやり暑いなあと思うだけの味気のない夏ばかりでしたが、ようやく私にも、大黒摩季も叫びたくなるような熱い夏が来ました。熱射病みたいなこの浮かれっぷりもいつまで続くかわかりませんが、楽しんでいく所存です。今後ともよしなに、よろしくお願い申し上げます。

あの青春の味

 

◆オモコロチャンネル 2020年12月15日投稿動画 『問題に「味」でボケろ!味喜利!』より。

 大喜利のお題に「味」で答える企画で、原宿が出したお題がこちら。

 

高校の古文の授業中 先生にあてられた隣の席の女子

長谷部 ゆかりさん

ゆかりは授業を聞いておらず、当てられうろたえていたので

隣の席のあなたが「おい長谷部 47ページ」と小声で教えてあげた

その後の昼休みに長谷部が

「さっきありがと、助かったよ。おかず、なんか食べる?」

とお弁当を持ってきたのでその中からおかずを選んで

「こりゃラッキー! 情報量…っと」

 

その味とは?

 

ずっと何を言ってるの?

 

www.youtube.com

 

◆永田からは「長いし キモいし」、ARuFaからは「やりたかった青春じゃん」、恐山にいたっては「2000年のラノベ」とこき下ろされる始末。確かに長いしキモいし、やりたかった青春だし、2000年のラノベだ。

 ただこれは、アラサーのオタク男性なら必ず一度は夢見た原風景なんじゃないのかなと。情報量うんぬんはさておき、弁当を分け合うみたいな光景は、一度は思い浮かべたことじゃないのだろうか。私は人の弁当のご飯が食べられないクチですが……。

 こういう、経験はないのに浮かんでしまう風景というのは、どうしてこうも共通化・一般化されるんだろう。隣り合わせた机、思惑が巡る修学旅行、一緒に見上げた打ち上げ花火……。二十六歳になろうとしているのに、今もなお「憧れの青春」に思い焦がれてしまう。オタクというのは非常にいじらしいね。

 

◆自分の高校生活もまもなく十年前とかになるらしい。十年も経つと母校の後輩に皇族がやってきたりもする。十年一昔、怖い。

 ともあれ十年前を思い返すと結構毎日が楽しかったし、あの頃の友人たちとは今でも仲良くさせてもらっている。今の自分を見つめると「どうしてこうなっちゃったの?」と思っちゃうくらい、わりと青春をしていたはずだ。

 それでもないものねだりをし続ける。びっくりするほど退屈な今の生活を嘆いて、あの頃もっとあんなことができていればと。このお気持ちブログを始めてからしばらくはアクセス一位を誇っていた、あの記事のタイトルみたいなこととかさ。

 ねだり続けるくらいなら今の生活を変えようと努力すればいい、というのは嫌でもわかっているけれど、もうそんな気力もないし、もうそんな機会もない。そも、あの頃あんなことがしたかったは星の数ほど浮かんでくるのに、今こそあんなことがしたいみたいなことは、ほんの些末なつまらないことばかりしか浮かばない。無気力に、不格好に日々を消費し、貴重な週末は、私の描いた通りの展開で馬よ運んでくれと祈っているばかり。

 

◆思い、紡いで、実行するためのリソースもエネルギーも、ほとほと枯渇しはじめている。長谷部ゆかりが分けてくれたお弁当のおかず、それがどんな味だったのか、今の私にはてんで想像がつかない。

 味喜利というのは、共感覚の強さを図るものに近いと思う。文字や匂いに色を感じるように、美しき風景に覚えた舌触り、食感。五感の全てで「今」を享受していたあの頃ももはや遠く彼方。こんな体たらくを続けていれば、そりゃどう調理したって今は無味乾燥な日々。

 感覚器の全てが、体の節々よりもずっと早く老いはじめていく。そうこうしているうちに2022年もさっと終わって、出生一万日、果ては三十代へとあっという間に突入していく。こんな最後っ屁のような駄文を書き起こして入る暇があったら、どうだ、もっとやることがあるんじゃないのかい。

 

 

 とはいえ現状に不満があるわけでもない。それが最大の問題だとも思う。もういくつと寝ればまた歳を取ってしまうんだ。何をするべきかと無闇に焦るより、何がしたいのか、もっと考えていこう。味わったことのない「味」を求めて。

関門顛末 3日目(後半)

 

山口県から帰ってきた私は、レンタカーを返却して、来る時刻まで時間つぶしをすることになった。旅の最後に私が向かったのは、小倉にあるシーシャ屋『CHILL BEAR』だ。

 福岡で行った3店舗の中で群を抜いてシーシャが美味しかった。店主さんのこだわりも感じられて、最後にここに来られて本当に良かった。美味しすぎて2本吸っちゃった。

 

◆定刻まで時間を潰せた私は、小倉駅前のバスターミナルへ向かう。ここで無料の連絡バスに乗り、向かった先は門司港の外れ。東京九州フェリー、新門司フェリーターミナル

 2日目の夜、小倉のホテルで見つけた、フェリーでの関東への帰路。新幹線より安い値段でフェリーに乗れる魅力に惹かれて、乗船を決意した。

 船内は非常に豪華。派手な装飾が多かった。一方で一番安いところをとった部屋は二畳くらいしかなくて笑った。

 24時の出港で、夜間は外の景色がほとんど何も見えず、特段やることもなかったので、早々に眠りについた。

 

◆翌朝。フェリーの仕様により、2泊4日になったので、何日目というのかもよくわからない頃、幸運にも快晴に恵まれ、素晴らしい大海原を望むことができた。

 船内のレストランで大海を眺めながらのとんかつを食す。こんなに景色が美味いとんかつ、二度と食べられないかもしれない。

 

◆フェリー内はとにかくネット回線が弱く、陸が近くにあるとき―――紀伊半島伊豆半島の近くを通るときなど―――はぎりぎり4Gを拾えるけれど、陸から離れ海の上をぽつんと後悔しているときはずっと圏外のままだった(船内のWi-Fiはダウンロード2Mbpsというカスだった)。そういう不満点こそあるものの、海の上を渡っていくというのはなかなか体験できないことで、非常に有意義な時間だった。

 

 門司港を24時に出発してからほぼ丸一日、21時に横須賀港に着岸した。最後に横須賀駅マクドナルドの新メニュー・赤いガーリックてりやきとニュータイプ白いトリチを食べて、鈍行に揺られて家に戻った。

 

◆久しぶりの一人旅行、久しぶりの福岡県ということで、かなり心が満たされた4日間でした。社会人も二年目になり、いろいろと面倒なことが増えてきた人生だけれど、たまにはこういうガス抜きをすることも大事だねえと感じました。そろそろ夏もやってくるので、皆さんもどこかへお出かけしてみてはいかがでしょうか。

 そろそろ日常に戻らないといけない。気を引き締めて明日へと向かっていきます。それでは。