ちょっと長めのツイート

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愛している

 

◆あの高校にはクラス替えがない。3年間を同じクラスメイトと過ごす。各々、小中高どの時点から入学したかの差はあれど、私が所属したあのクラスは、初めて出会ってから今年で10年になる。

「十年ひと昔」というくらいで、26歳になった私たちは少しばかり大人びて、まもなくやってくる30歳の現実に怯えながらも、少しずつ今を受け入れ、前へと進んでいる。

 

◆高校のクラスの同窓会をここ5年ほぼ毎年開催している、半数以上が現地参加する、残念ながら行けないという人も含め、ほぼ全員と連絡がつく。

    なかなか珍しい、というより、かなり奇跡的なことだと思う。遠方に住んでいて久々に顔を合わせた人とも、あの頃と同じように笑いあい、語りあえる。とても素敵な人たちに囲まれて思春期を育ったんだなと、改めて痛感する。

 

◆結婚した、出産した、今こういう仕事をしている、こういう研究をしている。苦楽の多寡は人それぞれなれど、それぞれの人生を謳歌していた。

「君のブログ読んでるよ」と、何人かにも言ってもらえた。かなり私的なことばかり書き連ねてきたゆえ、小っ恥ずかしさももちろんあるけれど、なんだか私の人生を肯定されたようで、素直に嬉しかった。

 

◆近況報告でようやく、クラスメイトの皆に向けて言いたかったことを言うことができた。

    Twitterで発信していたこともあって、結構な人にすでに知られていた。知らなかった人にはとても驚かれたけれど、しかし心からの祝福をいただけた。

    同窓会のその場で上のエントリを読まれ、特に「10年前に出会って~」のくだりを目の前で復唱されて。幾分の照れもあったけれど、そのとき感じた思いの丈を書き残せていること、それを皆に知ってもらえていることは、感慨深いものだった。

 

◆焼酎のロックを5杯、ワインを2杯飲んで、いい感じに酔いが回っている中、同窓会参加者の中で唯一終電を逃し(バカか?)、池袋のシーシャバーで煙をくゆらせながらこれを書いている。

    私のTwitterのbioの「場所」の部分には「ぬるま湯」と書かれている。あの高校のあのクラスのことだ。ずっと居心地のいい過去に浸って、あのときが人生のピークだったと言うかのように、もはや余生を過ごすかのように、今を生きている。

    私と同じようにあのクラスの内々で人生をやっている人もいれば、あのクラスを過去とわりきって、新しい人生を進んでいる人もいる。それぞれの人生があり、そのどれもが美しかった。

 

◆あの「ぬるま湯」 を愛している。これからも愛し続ける。あの日あの時、彼らと出会えた奇跡に、彼女と出逢えた運命に、著しきれないほどの感謝を抱いて。私もまた次の人生に目を向けていく。

    こんなに直情的な文章は、あんなに心地いい酔いに溺れてしまったせいだと言い訳をして。池袋西口カラオケ館のネオンのぎらつきを横目に見ながら、ゆっくりと始発の電車を待つ。

 

    もう何時間もすれば朝日が登る。新しい1日がまたやってくる。