◆3度目の春が来る。住む場所が変わり、新天地で初めての桜を見た。前宅では結局2回しか見れなかったけど、この桜はあと何回見れるのかな。
◆旧知のオタクとの2年続いたルームシェアを解消し、先月頭より完全一人暮らしを始めた。家に帰れば友達がいる、という生活を離れてから2ヶ月ほど経過して、最近「大人ぶる」仕草や感情が自分の中に芽生えていることに気づき、悶々としている。
◆数年前まで、ぽつりぽつりと遠くから聞こえていた結婚の話が、一等親くらい近い距離の友達からももたらされるようになった。
大切な友人と大切な友人が結婚した。本当に喜ばしい。
— ぷるーぶ (@prooooove) 2023年2月7日
もう27歳になるもんな、今年の年末には、出生10000日になるらしい、節目も節目だ。母は確か、この年くらいに結婚して、28歳で私を産んでいたはず。もうそんな歳になってしまったんだな。
ちょっと前に、子どもがいないと自分の「老い」を実感できなくなる、みたいなツイートを見た。すくすくと育つ子どもを見て、親は相対的に自分の加齢を感じるらしい。それがないと、大人は、心だけの若さを引きずってしまう、とか。友人たちがまた1つコマを進め、在りし日の母がもう子どもを産んだという事実を鑑みるに、私も少し大人びないといけないのかな、なんて考えてしまう。
◆仕事にしてもそうだ。来週から2世代目の後輩ができることになる。もう「最若手ゾーン」からは出てしまうんだな。何をやっても許される免罪符は、無くなってしまうんだな、やだな~。
仕事もそうだし、この間の引越しの手続きをしているときにも思ったけど、「自分はちゃんと社会生活をできる人間ですよ」と示しを見せないといけない機会がこの世には多すぎる。別に失敗したとて人生が終わるわけじゃないとはわかっていても、うっすらとした緊張、ぼんやり感じる視線が、いらんプレッシャーを与えてくる。
こういうことの積み重ねから少しずつ経験を積んで「大人」ができあがる、今まさにその只中にいるんだろうな。中学・高校時分からあんなに楽しくわちゃわちゃしていた友人たちも、なんだかんだこういうことをちゃんとやってるんだよな。すごいな、みんな。がんばってるじゃん、私。
◆仕事や公的手続、結婚・出産、そうした「歳をとったから発生するタスク」をこなしたり聞いたりして、心は子どものままなのに体裁を気にして大人ぶっている。その後、1人には広すぎるこの家に帰って1人ぼんやりしていると、嫌でも、もう子どもではないんだと気づかされて叫びそうになる。もっと子どもでいたいけど、でも、大人は大人で楽しそうなところもあるんだよな。過渡期、怖え~~~。
でも、この過渡期も、この年代の3, 4年しかない貴重な時期なのかもしれない。第二次思春期みたいなものなのかも。だとしたら、この悶々も楽しんだほうがお得なはずだ。小さい子どもが大人ぶるのとは違う、この歳なりの大人のふり。本当はみんなもやっているんでしょう。それを、しゃらくさいな~と思って笑いあいたいよ。
もう少しだけ、心は子どものままでいようかな。コマを進めるのは、まだもうちょっと後でもいい。そんな3度目の春でした。