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生きていれば、生きていられたけれど

 

◆大学の学科を決めるとき「18歳でやりたいことをはっきり決められる方がすげえよ」と、たいした志もないままに入学した。それがまもなく24歳になろうというところで、ついに大志を抱くこともできないまま、いつのまにかおおよその進路が決まってしまっている。なんて幸せなんだろうと思うし、何をしてきたんだろうとも思ってしまう。 

 

◆結構後先考えずその場しのぎで日々を生きてきたし、物事は楽しそうな方にばかり転がしていった。それが私の今までのやり方だった。何とか今日も無事に息をしているけれど、どれもこれも幸運を積み重ねてきただけにすぎない。それは土台としてはあまりに不安定で、何かのきっかけで一息に崩れてしまいそうではある。

 それでもこのやり方で二十余年をやってきたから、今さら変えられないし、変えたいとも思わない。そして今回も「今まで通り」なんとか内々定を貰うことができた。勤務予定地近辺をGoogle Earthで調べたり、初任給の使い道を考えたりなど、わかりやすく調子に乗っている。

 

◆なまじ内々定を得て、念願の一人暮らしに立直をかけてしまった私は、このまま大学院を平穏無事に卒業するという選択肢に縋るしかなくなってしまった。もちろん、このまま研究をほっぽりだして中退の流浪人になるのも一つの選択肢ではあるけれど、まもなく自分の城を築ける、その一歩前まで来てそれを手放すことのメリットが全くない。

 そう言い聞かせて前を向けばあと一年続く辛抱。作業と思いこむにしてもしんどくなってきた無味無臭の研究テーマに頭を抱える日々。あーだこーだ議論を重ねて研究の方向性が右往左往したとしても、それは私の「修士研究を終えて卒業する」というクソデカい1つの目標の中においては些事に過ぎず、人生に抑揚を与えるほどの刺激には到底なりえない。進捗も出ないまま時間だけが流れていき、本当に卒業できるのか時に悩む日もあるけれど、しかしお得意の根拠のない自信は、平気そうに笑っている。今まで通りやっていればいいと、生きていれば生きていられるんだと、経験が悪魔のように囁いてくる。

 

◆「あなたの短所は何ですか」と、面接のたびによく聞かれた。私はそのたびに「直感的に物事を選ぶこと」だと言っていた。それは良いように言えば「判断力がある」ということでもあるけれど、やはり熟慮が足りない、とも。社会人になれば、チームワークが第一になる。個人の短慮が会社に大きな損失を与えうる。自分自身の生活においてならさておいても、仕事において「今まで通り」とはいかなくなってしまう。

 生きていれば生きていられるのもここまでかもしれない。せめて卒業までの残りの期間は、もう少し社会人らしくなるための勉強をしよう。まずはこの短慮を矯正して、きちんと考えて行動できる人間になろうと思う。