ちょっと長めのツイート

お気持ちを配信しています

僕は友達が少ない。

 

 

    でもそれでよかったんだと思う。

 

 

    近頃はお一人様への悲哀の眼差しも薄く、ヒトカラや一人映画、一人焼肉すらも是とされるほどである。この時流には常々かなりの恩恵を受けてきた。

 

    かといって心根ではうさぎのように独りを嫌がり、かといって上位カーストのように明るく振る舞えない根暗が「ともだち 100人 できるかな」を否定してきた。

    海だBBQだと人生謳歌の人たちを羨んだ。ひとしきり彼女の話をされて爪を齧った。毎月毎月呟かれる「もう10月だよ?????彼女いないの????大丈夫??????」という煽りツイートに打ちのめされ、なんとか致命傷で済んでる日々。

 

 

    彼女はまあさておき、友達が少ないことに嘆いていたのはほんとで、当たり障りのない会話はできてもなかなか先に進めないなんてことはしばしば。共通の話題さえあればすぐに距離を縮められるのに、オタクは難儀な生き物である。

 

 

    「一線を越える」経験がいまだない童貞だけど、そもそも「友達」と「赤の他人」の間に引かれた一線があまりに太すぎる。線か? 棒じゃないのか??? もはや助走をつけて飛び越えなければならないほどだ。

   特に、その線上に位置するような間柄の人が多すぎる。ことに大学の人。友達とも言えずかといって赤の他人というには面識がありすぎて、そういった人を意識的に「知人」と呼んでいたりする。

 

    しかし、途方もなく太い一線を越えてきた人といると本当に楽しい。つい最近、急激に親しくなった友達がいて久しぶりにその「線を越えてきた」感覚を味わった。この歳になってなおそういうことがあると、なかなか感慨深いものがある。

 

    僕は友達が少ない。じゃなくて、知人が多すぎる。もう少しお酒やスポーツアクティビティに造詣があれば、あるいは恥を捨てて笑いを取りに行く心意気があれば友達も増えたかもしれない。

    しかし最近はあまり悔やんでいない。お一人様が迎え入れられ、数は少なくとも素敵な友達に囲まれて、おまけに今学期はとてもゆるい。実に、実にセロトニンを感じる毎日である。

 

 

    目下のところ越えなくてはならないのは本来越えるべき方の一線なのだが、難儀なオタクはこちらの線も、下手すると「友達」と「赤の他人」に引かれた一線よりもずっとずっと太いようであった。恋がしてえ、はてブを開くとそればかりである。いいかげんあの煽りツイート野郎を見返してやりたいものだ……。

 

沖縄顛末 4日目

 

 

★四日目

 

 

 さすがにおじさんたちの老体は疲れ切ります。この日は二人してなかなか起きれず、宿を出たのが九時ごろでした。

 

 

 朝ごはんは国際通りにある「ポークたまごおにぎり」 その名の通り厚焼きのたまごとポーク(スパムですね)が挟まれたおにぎりです。これを買って瀬長島で朝日を(昼だけど)見ながら食べました。

 スパムって単体だと塩辛いんだけどたまごと米に合わないわけないよねぇ。めっちゃうまかった。

 

 

 その後車を走らせて向かったのは昨日行けなかった糸満の食事処「真壁ちなー」

 

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 糸満のこのあたりはふわっとイメージしてた感じの「沖縄!」って感じの街並みが広がってます。低い石垣とか広がるサトウキビ畑とかね。

 民家を使って開いているこのお店で相変わらず沖縄そばを食べました。二日目に食べたとのとは違うあっさりとした味わいがここまでの濃いめの食事で疲れていた胃に優しい。

 

 

 真壁ちなーをでたあと、ひめゆりの塔にて参拝して、その後二回目のビーチ。「西原きらきらビーチ」へ。

 

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僕「あの囲いの中でしか泳げないのか……プールやんか」

寝癖「それを言っちゃいけない」

 

 オフシーズンなのか、遊泳可能範囲が結構狭かった。寝癖はひとしきり遊んでましたが僕は写真を撮って遊んでました。

 

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あぁ~~~テトラポッド沈んで~~~(まじで沈んでた)

 

 

 イオンで買い出しなどをしたのち再度瀬長島へ。最後に夕日の沈む風景などを撮りたいという二人の希望叶わずレンタカー返却時間となり撤収。長かったフィットでの旅もこれにておしまい。

 

 

 那覇空港からゆいレールで県庁前へ。やっぱ〆は焼肉で優勝っしょ!てなわけで「焼肉バカ一代」へ。

 

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 非常に店員さんのテンションが高いお店でした!

 

フロアの店員「乾杯しないんすか?」

僕ら「えっ、じゃあ……乾杯」

フロア「はい乾杯はいりましたー!」

残りの店員「「「「「かんぱーーーーーい!!!!!!」」」」」

 

 網の上のホルモンのように踊らされてしまった。お肉は当然うまかったです。

 

 

 宿へ最後の帰宅。寝癖は最後にもう一度「国際通り屋台村」の今回一番気に入った店に行き、私は部屋でドラゴンフルーツを向いてアメトークを見て夜を過ごしました。

 

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 寝癖おじさんは結局この日酒場で出会った人にステーキをおごってもらったそうですが、それはまた別の話。

 

 こうして別々に最後の夜を越え、翌朝早くに沖縄を発ちました。

 

 

 

 これにて沖縄顛末終了です。ご清読ありがとうございます。

 最後にもうひとつネタ雑記だとを書いて終わりにしたいと思います。

沖縄顛末 3日目

 

 

★三日目

 

 その朝も僕は八時ごろに目を覚ましました。ところが寝癖のおじさんがいつまでたっても寝ぼけまなこ。結局きちんと起きれたのは九時を回ったころでした。

 

僕「なした?」

寝癖「昨日晩酌のためにコンビニで買ったペットボトルの泡盛がなぁ、粗悪な酒でなぁ……」

 

 わざわざ沖縄まで来たんだからいい酒飲めよ……。

 二日酔いの体に鞭打ってもらって朝飯に「A&W」のハンバーガーを食べました。せっかくなんだからルートビアを飲めばいいのに、つらいおじさんはお冷を二回くらいもらってました。

 

 

 この日は糸満にある民家を利用しているという食事処へと向かいます。快適に道を飛ばしもうすぐ店が見えてくるといったところで、おじさん不穏なことを呟きます。

 

寝癖「そういえば定休日とかなかったよな……」

僕「は?」

 

 水曜は定休日でした。Go〇gle先生は何でも知ってるね。

 

 

 お店手前で引き返し予定変更、糸満の漁港へと向かいます。なんでも寝癖が家族にお土産として頼まれたものが漁港のある店で売ってるとかなんとか。

 たどりついてぐるぐると漁港内を回りますがいっこうに寝癖の目的の店が見えてこない。というか発見できない。しばらくぐるぐる回ったところでようやく二日酔いが覚めたのか……。

 

寝癖「あっ……漁港自体が違うわ、ここじゃねえ」

僕「は?」

 

 いたしかたないのでたまたま近くにあった食事処に入りました。糸満漁民食堂」です。

 

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 マグロ二種盛り!うめぇな!

 たまたま見つけた店だったのですがどうも有名な店だったらしい。店内はすごくきれいでおしゃれ。そして漁港飯とあって魚がうまい!結果的にいいめぐりあわせになりました。

 

 

 次に向かったのが「瀬長島」 こちらも古宇利島同様本島から橋でつながった離島で、美しい夕日が見えるテラスがあることで有名。

 

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 すぐ近くが那覇空港ということもあってひっきりなしに飛行機が飛んでいったり飛んできたりします。すぐ向こうの本土と空と海と飛行機とで遠近感が全くつかめない絶景。写真はありませんがヨーロッパ風の白いテラスもまた陽光に映えて素敵な光景でした。 

 

 

 宿に戻った僕たちは再度国際通りに赴きます。向かうは牧志公設市場

 

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 ものめずらしい魚が多かった。写真左上のいらぶちゃー(アオブダイ)とか色味にびっくりしたよ。寝癖はここで「オジサン」という外観赤っぽい魚を購入。あとで宿で捌いて美味しくいただきました。

 

 

 夕飯は「うちなーだいにんぐ じなんぼう」にて沖縄料理!

 

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 特に一枚目の「じーまーみー豆腐」に感動しました。ぷるっぷる!箸でつかんでもちぎれない!どっちかっていうとごま豆腐に近い食感でしたね。二枚目は「ソーキ」(豚のあばら肉だそう)。軟骨ごと煮込んでるって言われたけど「軟骨?」ってぐらいなにひとつ硬さを感じないとろっとろ感。うめえ。

 

 

 その後二日目の夜にも行った「国際通り屋台村」にて二軒ほどはしごして宿に戻り、「オジサン」を捌いて食べて撃沈しました。三日目はハプニングが多かったっすね……。

 四日目に続きます。

沖縄顛末 2日目

 

 

★二日目

 

 

 二日目、朝八時ごろに起床。

 

 「食いたいものがある」という寝癖おじさんに案内されて向かったのは「丸一食品 塩屋店」

 いなりとチキンが2つずつ入って400円くらいでした。

 

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 チキンがね、ガーリックが効いてパリッパリでめちゃめちゃうまいんですよ。そしていなりね。僕が普段みるものよりお揚げの色が薄いんだけど、さっぱりした味わいでチキンにすごく合う。これはなかなかいいコンボ。

 

 

 駐車場内で朝飯を食べ終えた後、本旅行のメインともいえるような場所へと向かいます。快調に車を飛ばしてたどりついたのは「古宇利島」です。

 

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 海がめちゃくちゃきれい。

 僕が知ってる海(八月の頭にいった勝浦とか)って青の色味がもっと深いんですけど、それよりもずっと薄く淡い水色、クリアブルーなんです。まるで琉球ガラスのようです。

 寝癖のおじさんはひとしきりばしゃばしゃ遊んでましたが僕は濡れるのがやだったんで足を浸す程度にして写真撮ってました。

 

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 ほんときれい、心が洗われる。空の青色ともマッチしていい景色です。

 

 

 古宇利島というとガイドブックなどで有名なのは本土から島へと架かる橋です。

 

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 寝癖初登場やんけ。

 雑誌のような写真は撮れなかったけど、本土から車で渡れる利便性に加えてこのきれいな海の上を渡っていける気持ちよさといったらもう。最高でした。

 

 

 昼食も古宇利島でとりました。「海の家 YOSHIKA」にて海鮮丼を!

 

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 こんなん美味しいに決まってるでしょ。美味しいんですよ。

 海ぶどう(海藻の一種)初めて食べたんですけど残念ながらこれは僕にはあまり合わなかった。そればかりは好みだから仕方ないとして、切り身やマグロのすり身は最高でしたね。

 

 

 古宇利島を出て次に向かったのは「万座毛」という崖っぷち。

 

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 海を一望できる切り立った崖という景勝地。その迫力はまさに圧巻ですね。

 ちょうど僕が行く数日前に友人がここに着ていたので似たような構図の写真を選びました。ええ、似たような構図を。

 

 

 次に美浜にある「アメリカンビレッジ」へ。アメリカンな風貌の街並みを再現したショッピングモールです。

 

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 いろんな店を見てまわったんですが、ここではA&W同様沖縄でチェーン展開している有名アイス店「BLUE SEAL」へ。

 

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 紅芋ソフトです。+50円でワッフルコーンにしてもらいました。

 濃厚な紅芋の風味がたまらんですね。砕いたワッフルの隙間からこぼれるアイスで手がべとべとになってたまらんですね……。すごく美味しかったです。

 

 

 そういえば沖縄に来たのにまだあれを食べていないじゃないか。アメリカンレッジを出て僕たちは那覇そば 那覇亭」に行きました。沖縄そばです。

 

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 とんこつ系スープのこってり味。上に乗っている肉は三枚肉(豚のあばら骨周囲の肉だそうです)。とっろとろに煮込まれていて最高にうまい。

 

 

 宿についてもまだ終わりません。せっかく夜なんですから飲みに出歩きましょう。国際通りに激近な宿でほんとによかった。向かったのは国際通りから一本横道に入ったところにある国際通り屋台村」

 

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 ほんとに極狭な店が20軒ほど軒を連ねる情緒あふれる屋台村です。この日は三軒はしごしました。僕もオリオンビールのフリーなんかを飲めたりしたのでよかったです。

 

 

 これにて二日目が終了。振り返るとよく動きよく食べた一日で、この旅行で一番アクティブでした。というか一日に詰めすぎた気もする。

 僕は宿に帰って撃沈しましたが寝癖おじさんは宿に戻ってからも晩酌を続けたようで、それが後日響きます。それはまた後述。

 次は3日目です。

沖縄顛末 1日目

 

 

 

 タラップを降りると、そこは南国であった……言うてる場合じゃねえ、暑ぃ。

 

 

 

 はいさーい!

 というわけで人生初の沖縄4泊5日旅行してきました。これで九州全県に居住or旅行で制覇です。

 連れは寝癖おじさん。僕よりもずっと沖縄が好きな沖縄おじさんなので旅程は任せっきりにしました。この点は問題なかったというか、任せてよかったと感謝してるくらいです。ええ、この点は。

 この顛末記は沖縄にいた間Twitterでつぶやいたことを中心に詳らかに書いた総まとめみたいな感じです。楽しくテンポよく読めるようにしたつもりです。ぜひ旅情に駆られていってください。

 

 

★一日目

 

 

 那覇空港に着いたのが13時ごろ。おなかペコちゃんやで。てなわけで最初に寄ったのが空港内にあるA&Wというハンバーガー店。

 

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 沖縄ではチェーン展開されている有名店。特に左のドリンク「ルートビア」は湿布の味がするゲテモノドリンクとしてネットでも有名っすよね

 僕とおじさんはDr.Peeperがイケる人なので当然のようにルートビアも「うめぇうめぇ」と言いながらごくごく飲むのです。飛行機の中でなにも飲んでいなかったからなおのことうめぇんですよ。

 

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 ひどい言われようじゃない?

 

 

 昼食を終えてルートビア片手に那覇空港を出ます。

 沖縄は車社会で車がないと死にます。当然レンタカーを借りるんですが、さすが車社会とあってレンタカーショップまで送迎が出てるんですよ、便利。バンに揺られてドナドナドーナ。車はホンダのフィットでした。

 

 

 さて出発。レンタカー屋を出るとすぐに高架へと上がります。左手には海!陽光が

水面に輝いて、高架には種々多様な車の列。LA・LA・LANDの冒頭シーンのような明るさ華やかさがそこにありました。僕はスマートフォンから「another day of sun」を流します。

 

 

 最初に向かったのは首里城です。守礼門が出迎えてくれました。

 

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 青い空と茂る緑、彼方からの日差しに朱色がよく映えます。

 さらに進むと……。

 

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 誰が撮ってもその鮮やかな色彩が示せる首里城フォトジェニックのお手本かよ

 そしてついに首里城正殿とご対面……!

 

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 塗り直し中て!!!!!

 

 ……ポジティブに考えよう、塗り直し中の首里城なんてなかなか見れるもんじゃないって。京都の清水寺に行ったときもこんなことがあったなぁなんて思いながら正殿内に進みます。

 

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 内部写真撮っていいのな!もうまずそこで感動しました。京都行ったときは内部なんて何も取れなかったからなぁ……。

 こちらは王が座りし玉座。座ってみてえ……。

寝癖「でも椅子固そうだしずっと座ってるとケツとか腰とか痛くなりそう」

僕「うるせえよ」

 

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 城郭内にある池にお堂が浮かんでいて、その近くで鳥さんが休憩してました。近づいたけど全然逃げねえ。のんびり気質は人だけにあらずかあ。

  

 こうして首里城を見終えた僕たちはその後小禄にあるイオンで買い出しをしたりお金を下ろしたりして、その後宿へ。ウェルカムちんすこうをもらいました。めんそーれ。

 

 さて、そろそろ腹がへります。一日目なんだし夕飯はがっつり行こうということで、国際通りにあるステーキハウス88」へ。

 

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 はいい、人を幸せにする。あと飯テロに最適だ。

 

 

 最後に一軒居酒屋に入って、その後はホテルでベッドに撃沈。一日目終了です。

 次は二日目について書きます。

「おもしろい話をして!」

 

 

 

    何よりも嫌いな無茶ぶりだ。

 

 

 

    「この世には二種類の〜」の定型句で言えば、話がおもしろい人と、話し方がおもしろい人がいると考えている。話がおもしろい人ってのも語弊があって、おもしろい話を持っている人ってのが多分正しい。

 

 

    おもしろい話を持っている人はそこらじゅうにいる。生きていれば何度だって衝撃体験に出逢う(出遭う?)。それを持ち寄って各々いくらかずつ話していけば、1飲み会分くらいの尺はあるだろう。

    しかし頻繁に会っているとネタも尽きる。過去の話を掘り下げても過去の話は増えないし、こんなご時世あまり未来のことは考えたくない。

    だから、そんなときでもスキャットマンのようにベラベラと話し続けられる人が重宝される。「話し方がおもしろい人」 周りにどれくらいいるだろうか。友達の少ない21年の生涯、片手で数えられるくらいの人しか思いつかない。

 

 

    あとで思い返すとホントにくだらなくて何で笑ってたのか不思議に思うことすらある。あるいはその人が話していた爆笑必至の話も、人づてに聞くとそうでもなかったり。

    でも確かに爆笑していた。中村仁美アナが「満点大笑いです!」って言ってくれそうなくらい大笑いしていた。砂塵を砂金に見せるような特異な技術がそこにはあった。

    冒頭の無茶ぶりにも対応してくれる、飲み会をやるなら「とりあえず呼んでおく人」 彼もそんな人だった。その特異な技術をちっとも盗めやしなかったけど。

 

 

   当然おもしろい話し方なんてできないオタクだが、身の振り方は考えている。

   報告精神旺盛だから、ちょっとおもしろいことがあるとすぐにTwitterで言ってしまう。相応にふぁぼを貰えてそれで満たされるからいいんだけど、飲み会なんかになると困ってしまう。「その話Twitterで見た」 アド街じゃないんだから。

   身から出た錆とはいえ、おもしろいと思った持ちネタを放出しきってしまって「おもしろい話を持っている人」にもなれない、その結果「聞き専」に落ち着く。

 

 

   おもしろい話をする、で始まった話題がいつの間にか聞き専で閉じているのだ。180度転回している。やっぱり僕におもしろい話はできないらしい。

    そう自覚があるならお口ミッフィーで聞き専に回った方が場のためであろう。それに、愚行を犯すよりはよっぽどマシだ。友達の少ない21年の生涯で片手で数えられるくらいにはいた、つまらない話を延々と続ける人、そうなるよりは。

   

    

    

 

君に誓う

 

 

    結局泣いた。堪えようという思いはなかったから、流せるだけの涙を流しておいた。ただ、私は何に対して涙を流したのか。何が悲しかったのか。

 

 

 

 

    彼の死は本当に辛い。そこらじゅうに姿をあらわしては、強く影響を残して去っていくような人だったから、今もなお彼の面影がそこかしこに見えてしまう。「こんなとこにいるはずもないのに」、そうわかっていても探してしまう、歌にあるように。

 

    安らかに眠る彼を見て、ふっと祖父のときの光景が頭をよぎった。あのときもたくさんの華で埋め尽くした。みんな涙していた。あのときも私は、涙を流せずにいた。


    きっと私は、人が死ぬことには諦念の心でいるのだ。祖父は長い闘病の末の大往生で、むしろ誇らしくさえ思っていたから、泣けなかったのだろう。


    彼は違う。訃報を聞いたときも、棺に華を添えるときも、「なぜこんなにも早く」、そればかり考えていた。彼だっていつか死ぬことにはかわりないけど、なぜこんなにも早いのだ。運命か死神か閻魔様か、私は何を恨めばいいのだろう。

 

 

 

    初めて涙を流したのは、友人による弔辞を聞いたときだ。その言葉は、ひとつひとつに重みを感じて、じわりじわりと私を苦しめた。胸につっかかっていた思いは涙となって、ようやく少しだけ、気が楽になった。

 

    しかし何より私の胸を痛めつけたのは、「行かないで!」という慟哭だった。この世界に留まってほしいのは誰もが思うところだが、彼は彼の行くべき場所に行かなくてはならない。それは私の死生観であり、私のエゴだけど、そう割り切らないと、いつまでもこの世に彼を留めてしまう。

 

 

 

    言葉は最高の発明だが、それはあまりにも力を持ちすぎた。言霊ともいうほどだ。空気が震えるだけのそれが、私たちに及ぼす影響は計り知れない。友人の弔辞然り、行かないでの言葉然り。


    それでいて私たちは言葉に対する防衛手段を持ちあわせていない。見たくないならまぶたを閉じて、臭いときには息を止めれど、聴きたくないものに対して助けを借りずにシャットアウトすることができない。

 

    出棺中、誰もが彼に最期の挨拶を述べて、あるいは悲しみの涙をこぼし、嗚咽していた。私が彼を喪って覚えた悲しみがあるように、あの場にいた1人1人が特別な悲しみを抱えている。その言霊に私の耳はレイプされ、悲しみは共鳴して、増幅した。その増幅にキャパシティが耐えきれなくて泣いた。私1人だけの悲しみなら、ああも泣かなかっただろう。

 

 

 

    出棺してしまえば、彼は彼から故人になる。そうなると私の心には諦念しか残らない。「人は死ぬ」。もうこの世に彼はいない。向こうで楽しく過ごしている(と信じている)彼を、思うことしかできない。

    だから、もう涙は流さない。流せないのではない。彼との思い出は忘れないけど、彼をここに留めてはいけない。
   これから私は、彼の力を借りないで生きていく。どうか私のことを見ておいてほしい。暇が嫌いだった君の暇つぶしになるような、楽しい人生であってみせよう。

 

 

 

※2016/08/22   「言霊のレイプ」改題