ちょっと長めのツイート

お気持ちを配信しています

何者にもなれないとふんぎりをつけるのにどれだけの勇気がいるんだよ

 

◆隣の芝生が妬ましい。

 

◆ジャンプに連載されている「アクタージュ 」の漫画担当・宇佐崎しろ先生が、自分より一つ歳下と聞いたとき、信じられないほど嫉妬した。漫画なんて描こうと思ったこともないし、絵の才能も、絵を描くための努力もしたことないのに、自分でも醜いなと思えるほどに嫉妬した。

   私を殺した黄前久美子やフォスフォフィライトを演じた黒沢ともよが同級生だと知って激しく嫉妬した。演劇なんてやったこともやろうももしたことないのに、思いかえすと恥ずかしくなるくらい、めちゃくちゃ嫉妬した。

 

◆「何者」という映画があった。就活を通して「何者」かになろうとする若者たち。でもみんなリクスーに身を包み、似たような髪型をして、増産クローンみたいでとても「何者」になれそうにもない。佐藤健が堕ちていく様子が見てて辛かった。まあ佐藤健ほどの顔があればそれだけで「何者」かになれるだろうけど。

    拗らせを極めているけど、でもでもまだまだ若いから、何者かになりたがってる自分がいる。そんな自分に自分で驚くし、でも何がしかの手立てを見つけようともしない不甲斐なさが、情けなくって仕方ない。

 

◆先日、アメリカ横断中学生が世に露見し、案の定心配や批難をくらっていた。あれはもうひとえに親に問題ありだと思うけどそれはさておき、ワナビーは私だけじゃないんだとほっとしたところもある。

   彼に対し、あるいは彼のような蛮勇無謀なワナビーに対し、アンサーのようなnoteが流れた。

『だけれど、どうしてネットの世界ではそんなにみんな「特別」になりがたっているのだろう?』と戸田真琴さんは問いかける。SNSワナビーツールとして無限の可能性を秘めていることを認めながら、しかし彼女は、平凡であることが「ただ単純にめちゃくちゃ良いところ」だという。

一見地味な素敵さを、重ねて世界はちゃんと回っている。 知っていてほしい。

平和上等、平凡上等、どうかだれも、自分自身を破壊するほどにはこの夢のツールに支配されませんように。

 

◆もうあといくつか歳をとれば、湧きでる気持ちも薄れていくんだろうか。それともどこかでふんぎりをつけないといけないのか。

    私の凡庸な両親は、世に溢れる「普通の人」は、どこで何かを諦めたんだ。どうやってふんぎりをつけたんだ。そしてタイトルに戻る。何者にもなれないとふんぎりをつけるのに、どれだけの勇気がいるんだよ。平凡であることの尊さを理解していたって、頭がそれに追っつかねえよ。

 

◆そしてこんな曲を聴いた。

    今はただ「誰も僕にはなれないんだというよくあるオチ」に、縋って生きていくしかない。