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発露

 

 

◆人生のアップピークのときのクラスメイトが再集して、心ゆり動かないわけがない。

 

◆現在、人生のダウンピークにいる。毎日が楽しくない。

    映画や漫画、麻雀や煙草、旧友との交流など、一時的な娯楽快楽はあるし、それをしているうちは楽しい。しかし現在の生活の基盤である研究、そして研究室生活が驚くほど退屈でつまらない。しかもこれは擬似的な社会人生活といってもいいわけで、つまり今の生活が楽しいと思えないということは、その苦痛が本当に死ぬまで続くということにもなりかねない。

 

◆研究室の人間は総じてビジネスライクの付き合いなので、深入りしたいとも思わないし、当然深い感情を抱くこともない。そんな生活が続けば当然感情は乾固され、やがて渇いた塵芥だけが残ってしまう。

    枯れてしまいそうな感情を何とか枯らすまいと、映画漫画といったコンテンツを貪って水を撒いている。しかしそれでようやく出てくる言葉は「エモい」だ。明に豊潤を失っている。

    終いには一発ツモとかシーシャの一吸いとか、そういう即時的で刹那的な快感ばかりに生を求めるようになってしまって、心にガタがきているのがよくわかる。

 

◆何より、在りし日の豊潤な感情を覚えていること、昔に比べてそれが枯れてきていることを、あまりに俯瞰できすぎていることが問題だ。もうどれだけの水を与えても枯れたものは咲かないのだろうと思っていた節もある。そしてそれが、諦めの早い馬鹿の早とちりでしかないことを友人たちが教えてくれた。

 

◆みんな大人になっていた。いやもう、大人だった。クラスメイトの半分近くがいたあの場所には「会わない間に流れていた時間」の奔流があって、枯れかけのそれは存分に潤された。

 

 

◆素面だったはずなのに、感情がやけに発露された。でもそんなことがまだできるんだなと自分で感動したりもした。

    豊かな感情のために、コンテンツを見て「エモい」を吸収するだけでは意味がないらしい。吸収したものを実践することこそが必要なのだと、よーく知らされた。

    人間をすることは非常に難しい。こんなところでポエ散らかしているうちはまだまだ不完全だ。いつか素直に、そして自発的に感情を吐露できるようになることが、今の目標である。