ちょっと長めのツイート

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望都

 

◆山手線の車窓から「田端」の文字が見えて、ふと、東京への憧れのようなものが薄れていることに気づく。

 

◆初めての東京は中学生の頃、秋葉原だった。オタク仲間と連れ立って、アニメや漫画で見ただけだったあの世界へ。背の高いビル、行き交う人の多さ、扇情的な女の子の様々。あれが、あのまま! の光景の数々に、私はただひたすらに感動した。

    これが東京、これが大都会、これが日本の首都。幼かった私には見るもの全てが新鮮だった。それまでだって福岡の都心部にいたこともあったのに、あのときとは比べ物にならないくらい、強い感情に心を揺さぶられた。

 

◆それから私は東京の高校に進学した。常磐線にぎゅうぎゅうと押し込められ、ひいこらと登る坂の先に立つ校舎。同い年というだけで集められたクラスメイトは、シティボーイもカントリーガールもごっちゃ混ぜ。

    一時は田舎者の卑屈さを存分に発揮していたけれど、都会っ子たちの手ほどきを受けて1つ、また1つと東京を知るようになる。いつしか池袋は遊び場になり、御茶ノ水で物事を学び、西日暮里で色恋の密かをひっそりと語り合っては、浅草で青春を謳歌したりして。

 

◆東京での生活も8年目になり、街での買い物のおおよそをクレジットカードで済ませるようになって、もう、あの頃の羨望のほとんどが日常と化していた。田舎の中学できゃんきゃんと吠えていただけだった野良犬は、すっかり行儀のよろしい室内犬になっていた。

    今や地名を聞けば東京のどの辺かおおよそ検討がつく。山手線がどう走っているかも、「田端駅」なんてのが存在することもろくに知らなかったというのに。

    かといってシティボーイになれたかというと、そうでもない。どれだけ珍奇な経験を積もうと、私が憧れたような姿には一一一そう思うときに目に浮かぶのは、彼の姿だったりするのだ一一一到底近づけていない。知りすぎただけの田舎者であることには変わらないと思ったり、そういう考え方がまた卑屈なんだといじらしくなったり。

 

◆就職した暁には、ひょっとしたら東京を離れることになるかもしれない。そのとき再び東京を望む心は、あの頃抱いていた羨望だろうか? ……いやそれは、何事にも不便たらない東京の快適さに執着しているだけだ。

    あるいは新天地に期待を馳せて、知らない地名や文化の一つ一つを学んでいくこともまた楽しいだろう。でもその好奇心もまた経時とともに荒びゆき、また知った気の田舎者ができあがるだけに違いない。

    歳をとると新しいことに手が出にくくなると先達たちは口を揃えて言う。そうはなりたくない、いつだって新鮮な感性を持ち続けていたい。干支が二周する今日この頃、億さず、惑わずを心がけて生きていきたいと思う所存である。