ちょっと長めのツイート

お気持ちを配信しています

Today is the nightmare

 

 

    このところ夢にうなされている。それも、悪夢を見るよりもひどい苦しみだ。

 

 

    仲間由紀恵に壁ドンされた夢を見た。どうにも胸元の緩い服だったので、何とは言わない何かが見えたわけでそれはもう素敵な夢であった。かといって起きてみるとナニがどうなってたとか、そういうことはない。

    あるいは山手線のくせに快速の大崎行きに乗車する夢を見た。ぼんやりと覚えているのは窓の外の景色が明らかに見覚えのない景色で、次駅表示には「美田」という知らない名前が書かれていた。調べてみたが鉄道で「美田」という駅はないらしい。不思議な話だ。

 

 

    とはいえ夢などとは不可思議なものなので、仲間由紀恵に壁ドンされようが山手線が快速で知らない駅に向かっていようが、なんだ夢かで終わる話である。

    しかしだ。不可思議珍妙なだけの夢なら見過ごせたものを、最近はただ首を締めてくるだけの夢ばかり見る。どうも僕は僕に彼女を作らせようと必死なのである。

 

 

    最初にその夢を見たのは4月29日のことだ。僕は知らない女性に告白された。なぜか僕は働いていて、その女性は同僚のようだった。僕は少しだけ悩んだのちにOKした。そこで目が覚めた。見慣れた白天井が視界に入ったときの絶望といったら、小峠が100人いても叫びたりない。「なんて日だ!」

 

    しかし能天気な阿呆は幸せなことで、昨朝ついに「彼女がいる」夢を見た。もういるのだ。過程もくそもないのだ。ただ残念なことに、何も思いだせない。その彼女と海にいるところまでは覚えているんだが、何をしていたか、彼女の顔さえも全く思い出せない。こともあろうに「彼女がいる」「海で遊んでる」という事実だけ(事実ではないけど)心に引っかからせて映像を記憶に残さないまま夢は終わりやがった。この絶望がわかるだろうか?ここまでくると事実捏造の妄想癖・虚言癖に近しい。

 

 

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    おかげさまでネタにはなったし多くの人から同情憐憫の♡をいただけたのでよしとするが、さすがに心が張り裂けそうだ。

    僕はどうしても僕に彼女を作らせたいらしい。フロイト先生の出番もないほど分析が簡単な深層心理だ。なんだか高校生のころより焦っているような気もするのは、近頃まわりで幸せそうな人が多いからだろうか。大黒摩季の声がする。「きっと夏は来る」

 

 

    目を覚ましたときの絶望は悪夢を見たときの比ではない。二次元のお嫁さんだって電源をいれればそこにいるのに、夢の中の彼女はもう二度と会えない。僕は目を覚ましてしまった。二度と会えない君を探して、悪夢のような今日を生きる。

 

京都顛末 市街地編

 

 

    市バス。四条高倉で下車。行き先は錦市場

 

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    どうでもいいけど四条高倉って四条貴音みたいだよね。

    わらび餅を頬張りながら市場を闊歩。チョコレートコロッケをTwitterのネタのために買うか買わないかで5分くらい悩んだ。2月だというのに修学旅行生もいて、彼らは普通のコロッケを買っていた。その調子で真っ当に生きてほしい。

    結局わらび餅だけでお腹もふくれ、気づけば市場の端に到達。これ以上の行き先を何も予定していなかった。そこで何も考えずに市バスに乗車。そのバスの行き先から目的地を決めた。

  

    鴨川

 

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    でかい川はいいね。雄大で荘厳で最高だ。高田馬場の近くの神田川と比べるとね、羨ましい限りです。鴨川等間隔の法則は見られなかったけど、飛び石を楽しそうに越えていく高校生カップルがいて身も心もやられました。俺は一人で何をしているんだ。

   

    せっかくなんで京大にも行ってきました。

 

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    ここが日本の頭脳かぁとか言いながら天才たちの吐いた二酸化炭素を吸ってきました。少し頭がよくなった気がします。

 

    最後に祇園の町を。

 

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    舞妓はぁぁぁぁんもおった。ゆうても町を歩く舞妓はんも着物着てる人も大半は観光客だって偉い人が言ってた。着物を着たい観光客と、着物を着た京の女性を見たい観光客と、その両者から金を取りたい商人。三方良し。win-win-winの関係。

   

 

   寺院巡りだけで一日済ませないで良かったなぁとしみじみ思う。バスで行けるほど小さな範囲に伝統や自然、頭脳が凝縮されている素敵な町でした。

 

 

※2017年2月14日のnoteを一部修正

京都顛末 寺院編

 

 

    京都に行ってきました。

 

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     実に中学校修学旅行以来の京都。右寄りのエスカレーター、はんなり京ことば、6年前深く味わえなかった異文化に感動するとともに、修学旅行から6年も経ってしまったという事実に衝撃を受ける。まだ京都駅に着いただけだというのに。

 

    京都駅構内。

 

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    目的はこの特設ステージ。休日などは演目がやられているようだが、この日は月曜日ともあって何も行われていなかった。このステージは「響け!ユーフォニアム」に登場している。聖地巡礼である。キモ・オタクである。

 

    左を向くとちらっと京都タワーも見えた。

 

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     その後「市バス・京都バス一日乗車券」を購入。

 

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   500円で一日乗り放題。大人初乗り200円くらいだから3回乗車で元取れるしかなりお得。
    これを使って市バスに乗車、まずは清水寺清水道」で下車後坂道を登ると、見覚えのある光景が現れた。清水寺へと続くお土産屋通り。6年前うちの中学校の生徒で埋め尽くされたあの道を、まさか成人して1人で歩くことになるとは……。
    心が成長していないので、中学生のように西尾で試食の八ツ橋をバクバク食べて(ちゃんと商品も買いました)先へ進んだ。

 

    清水の舞台。

 

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    絶賛工事中であった。黄色がよく映える。
参拝客が揃いも揃って「なんやあいつ」であった。

 

    市バス。次は三十三間堂

 

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    千手観音像が立ち並ぶあの荘厳な風景をもう一度見たいという強い思いがあった。落ち着いた風格を持つ京都でここと金閣寺だけは非常に視覚に暴力的で力強い。そういうとこに惹かれてしまう。ぜひ行ってほしい。圧倒されてくれ。

    本当は金閣寺にも行って圧倒的暴力を感じたかったが、場所的に断念した。結局寺院は清水寺三十三間堂の二つだけとベタなコースとなったが満々満足である。

 

 

※2017年2月14日のnoteを一部修正

2016movies

 

 

    「108円で2時間ほど暇を潰せる」ことに気づいてしまったこともあって、2016年は映画の年になった。それでも総数でいえば20本程度だが、積極的に映画を観る人間ではなかった私からすればえらいことである。

 

 

    今年のベストはなんだろうとTwitterにあげたものを振り返ってみたが、案外さっくり決まった。

 

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    パプリカだ。
    見る聴く感じる三方良しの合法ドラッグ思い焦がれ追い続けた夢の世界への憧れ、もとい執着。「夢の中で入れ替わってる~?」ではすまされない、人間の精神のもっともっと奥深く極限の世界を体感するような一本だった。

 

 

今年公開の映画だったら?

 

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    シン・ゴジラ。ただのパニックムービーに留めなかったところは好き嫌いをわけたけど私は大好きだった。政治ドラマを交えることでより緊迫感が伝わったと思う。そして何より倒し方。ネタバレは防ぎたいが、化学が役に立ってくれたので本当に嬉しかった。
    ちなみに「ただのパニックムービー」としてのゴジラも今年きちんと見ている。

 

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    ケン・ワタナベ出演の2014年版ゴジラ。さすがアメリカのパニックムービー。これが期待してたゴジラだよ!とウキウキで見ていたが、終わってみればシン・ゴジラの方が自分好みであった。

その他今年のあたりを留めておく。

 

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    私の少女。始めてしっかり見た韓国映画。閉鎖的なド田舎に飛ばされたエリート警察の女性(右)と、養父に虐待を受ける14歳の子ども(左)の2人の絆を描く。差別虐待に対し当時14歳の少女が演じる。作中幾度となく見せる死んだ目には震え上がった。これは本当にオススメ。
(しかしペ・ドゥナ(右)美しいな……)

 

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    エリカ様~~~が堪能出来るヘルタースケルターとーにかく美しい。風景も構図もエリカ様もみんな美しい美の奴隷。女性はぜひ一度見て。注目はエリカ様が吸う煙草「ソブラニーカクテル」、めっちゃ綺麗。監督はAERAの表紙撮影でも有名な蜷川実花彼女らしい色使いが随所に見られてそれも素敵。とにかく素敵だから。

 

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   ムカデ人間1は実はすごく好き。あれは「人間3人を(医学的にきちんと)繋げてみたい」というマッドドクターの、あまりにも純粋な狂気に魅せられる。汚さはあるけど実によくできたサスペンスホラーになってる。
これは違う。クソ。本当にクソ。狂気を描くって点ではよくできてるけど、この世で一番見たくない狂気。クソ。

 

    あとは覚えている限り名前だけ列挙。

ドントブリーズ、ヴィクトリア、ヒメアノール、アイスピットオンユアグレイブ2、マーターズ、アメリカンハンバーガー、八日目の蟬、アンチクライストたまこラブストーリー、マニアック、harmony、パラノーマル・アクティビティ君の名は。

 

 

    来年も楽しい映画ライフにしていきたいと思います。

 

 

※2016年12月29日のnoteを一部修正

 

テンカウント

 

 

    テレビの前で年越しをするのが当たり前の人間だった。両親と妹と卓を囲み、各々ドリンクを用意してその時を待つ。決まって我が家は妹の采配によりジャニーズカウントダウンを視聴する。一年に一度だけ放映されるテンカウントを合図にグラスを鳴らす。それが20年続いた私の年越しだった。

 

 

    今年は様子が違った。朝からバイトに出かけ、その足で友達と合流し、外で蕎麦を食べ、外で年を越した。神社に並ぶ人たちの色めきざわめきが今年の年越しの合図だった。何の神を祀っているのかもわからぬ神社の賽銭箱に五円を投げては、頭の中で飽和する願い望み祈りなんかを「今年もよろしくお願いします」の言葉の内に込めて弾丸のように打ち放った。

    暗闇に唯一光るコンビニは誘蛾灯のようで、だだっ広い駐車場に集う若者の風景は田舎の夜そのものだった。友人たちが酒を買っている合間に、2017年の一本目を咥えた。意識は亡霊のように12月31日を彷徨っていた。さしづめ「ぼくのふゆやすみ」だろうか、どうにも致命的なバグのように年明けを探し続けている。

    cheのロゴが火に消えいこうとしていたので火を消し、スマホを開いた。TLには、紅白歌合戦で魅せたガッキーの可愛さに悶える声とあけおめの言葉で溢れかえっていた。若者達はコンビニの駐車場で記念撮影、遠くの方で初嘔吐をする男性の姿。普段ならありもしない光景が、そこかしこに広がっていたことにようやく気づいた。

 

 

    友人たちが酒を携え帰ってきた。彼らが帰ってくる前にバグを修正できてよかった。「こんなところでなんだけど」の掛け声とともに、新年を祝う乾杯をした。アルミ缶のぶつかり合う心もとない音が、年明けの合図になったようだ。

 

 

※2017年1月1日のnoteを一部加筆修正

都会の片隅の片隅で

 

 

    渋谷駅から少し離れたところ、東急百貨店本店のもとで輝くクリスマスツリーを横目に少し行くと、雑居ビルの2階にガストがある。入口から離れた奥の方に10席ほどの喫煙席が置かれていて、まさに渋谷の隅の隅といった感じであった。試写会まで時間があったのでここで休憩を取ることにした。

 

 

    ガストでは決まってピザを頼む。メニューも見ずに注文を伝えて煙草をふかしていると、喫煙室にしてはお客さんがたくさんいることに気づく。

    通路を挟んだ向かいには若い女性の2人組。2人して縦セタワンピで、惜しげも無く綺麗な御御足を見せつけてくる。心もとないほどの丈でありながら足を組む赤い縦セタワンピの女性は、いかにも渋谷を象徴するようなイカした女性であった。細身の煙草もまた自身を彩るアクセと理解してるかのようで非常に似合っている。

    その隣に座るのはスーツのおじさん。ラップトップを相手ににらめっこしている。割腹の良さから昔運動をしていたことを思わせるが、しかし吸っている煙草は縦セタワンピと同じスリムなもの。そろそろ健康が気になってくるのだろうか。

    私の左隣に座るのは男女のペア。大学生の女性と30代ほどの男性という感じ。演劇について熱く語り合っていた。どちらかというと女性が自分の方向性について男性に相談しているような風にも思えた。男性はマルボロメンソを吸いながら熱心に応え返していた。熱く語り合えるものがある。ああいった関係には憧れも覚える。

 

 

    都会の片隅の片隅には多様な思惑が煙とともに飛び交っていた。窓の外を見ると先ほど通り過ぎたクリスマスツリーが煌々と輝いていて、年の終わりをひしひしと感じる。綺麗だな、今年も1人だな、年末何しようかななどと雑念を巡らせているうちにいつのまにかピザもなくなり時間が来ていた。スマホを見ると公式アプリから会計10%オフクーポンのクリスマスプレゼントが届いている。有難く恩恵を受け、ゆったりと試写会に向かった。

 

 

※2016年12月20日のnoteを加筆修正

大人になる自分に宛てて

 

 

    自分はまぎれもなくあの父の息子なのだと、もうじき20年目を迎えるこの人生で最近ようやく痛感している。

 

 

    父はとにかく動く。休日でも朝が早いし、少しでも暇な時間ができると外に出かけ、家ではPCでニュースを得てテレビ番組を見てあるいは本を読む。「止まれば死ぬ」という呪いに取り憑かれたように、父は秒単位でアクティブに生きている。

    対して19までの私は、何をしなくても常に課題が与えられそれに対してアクティブに取り組んできた。勉強部活人間関係、取組む課題は多様性に富んで尽きることはなかった。しかし言ってしまえば、与えられる課題を潰すだけの人生だった。

    それがこの1年、課題はそのほとんどが消費され、手元にはわずかに勉強が残った程度だ。今はといえば、努力義務に時間を食わせる日々だ。大学で勉強して、塾で物を教えて、課題を潰す週単位のルーチン。それらに対して、自分から取り組む姿勢を見いだせなかった。そして、夜になれば、努力義務さえも失い、かといって寝るに寝付けない、そんな地獄に溺れてしまう。

 

 

    私は間違いなくあの父の子だ。あの人は、手持ち無沙汰を恐れている。思考を、運動を少しでも停止することは、それすなわち死んだも同然だと、そんな本能が父を動かしている。そして今私も、手持ち無沙汰に心臓を掴まれて、今にも握りつぶされるんじゃないかと胸を苦しめながら、ただひたすらフリックを繰り返す。言い表しようのない恐怖に、あまりにも無力に、言葉で抗っている。

 

 

    もう2日と立たず、私は二十歳になる。いまだかつてこんなにも苦しい2日前があっただろうか。2日後の私は、これを見て何を思うのだろう。明るい未来が描けるだろうか。ティーンの頃のような取り組みたくなる課題を見つけるだろうか。それとも、心配しすぎの阿呆なだけだろうか。

 

    厨二病だと笑ってくれる大人の自分を、2日後に描けない。

 

 

※2016年8月4日のnoteに一部加筆修正