ちょっと長めのツイート

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アップグレード・キモオタク(後)

 

 

    ホット◯ッパー ビューティーに登録するのに2日かかるほど美容に対してビビリなキモオタクが美容室で縮毛矯正をかける話。いよいよ美容室へと行く。

 

 

    予約時間の30分前。松戸駅で僕はすでに吐きそうだった。フロンティア精神が皆無なので、新しいことを始めようとすると緊張で気持ち悪くなるキモオタクである。

    財布にある金が代金として足りることを3回ほど確認し、意を決して美容室のドアを開けうわ何か変な匂いする……。

    こんなに「もう帰りたい」と思ったのは昨日学校にいるとき以来1日ぶりだなどと思いながら、なんとか受付へとたどり着く。席へと通されて、戦いが始まる。

 

 

    美容師さんはいい人でした。受け答えはきちんとできるタイプなので美容師さん側からふってくれるのは非常に助かる……。

    最初はシャンプーでした。20歳になって始めて他人に髪を洗ってもらったんですけどあれめっちゃ気持ちいいですね。顔に白いタオルかけられたときは(霊安室の遺体かな?)なんて思ったんですけどあれないとやばい。気持ちよくて蕩けきったキモオタクのニヤケ顔が露呈するところだった。

    次は何か薬剤を塗りました。入店したときの変な匂いがするクリーム状のものです。それを美容師さん二人掛かりで真剣な表情でベッタベタ塗っていきます。どんな顔すればいいかわからなくて証明写真ばりに真顔の僕。珍百景に登録されそうなぐらい不思議な光景。その後機械で熱光線をくらいました。

 

 

    加熱後、またシャンプー。人生で始めて日に二度もシャンプーしちゃったよ。

    鏡を見て驚いたんだけど濡れたままなのに超まっすぐ。化学ってすんげえ。その後適当な長さにカットされ、ドライヤー、ヘアアイロン。また二人掛かりで真剣な表情でヘアアイロンしてるところに仏頂面の僕。頭の中でシンジ君が「笑えばいいと思うよ」と囁くけど、今笑ったら失礼だしヤバイ人扱いされる。

    その後またカットされて、また髪を洗った。人生で始めて日に三度も髪洗っちゃったよ。最後にワックスで髪を整えてもらいました。当然キモオタクなのでワックスも初めてです。

 

 

    そして今ドトールでPeace吸いながらこれを書いてる。縮毛矯正、半信半疑だったんだけどホントにまっすぐになるんだな。ていうか髪洗ってもらうのってめちゃくちゃ気持ちいいんだな……。

    こうしてまた金を使いモデルチェンジしたんだが、果たして「改善」かどうかが怪しい。アップグレードするたびに改悪とか言われるTwitterのようにはなりたくないが、なにぶんTwitterで生まれ育ったキモオタクなので、いかんともいいがたい。

     

 

 

 

 

    

 

    

アップグレード・キモオタク(前)

 

 

    キモオタクは未経験の塊である。未経験が瞬足を履いて(コーナーで差をつけて)いるようなものである。「何でもは知らないよ、知ってることだけ」などと猫耳美少女のセリフを引用しといて、その実知らないことの方が多すぎるのがキモオタクだ。

    そして僕も例に漏れずキモオタクである。これはそんなキモオタクが意を決して縮毛矯正をしに美容室に行った話である。どうぞ笑ってくれ。

 

 

    4月某日。僕はサンマルクでコーヒー片手に小説を読む文学青年の真似事をするイキリオタクになっていた。森見登美彦太陽の塔」。マジで面白いのでみんな読んでくれ。その中に飾磨(しかま)というキャラクターがいる。変人な彼はこんな言葉を言い残す。

 

    「フルモデルチェンジする」

 

    当初はその語感に笑うだけだったが、なぜか読後もその言葉だけがひっかかっていた。

   

 

    後日、飲みのお誘いがあり中学時代の旧友4人と会う機会ができた。ちょくちょく会うメンツなので新鮮味こそないが、ふと思い立った。みな服装に気を使い新しい趣味を持ち始めていた。

    大学生になってバイトをし自由に使える金が入る今、彼らは好き好きにいろいろなものにお金を使っていた。対して僕はさしあたって趣味がないので貯金が貯まる一方だ。彼らは呆れた。「そんなに貯めて何に使うのだ」と。

 

 

   結局こんなことを書いた。

お金を使うということ - ちょっと長めのツイート

    書いた以上は何か買わなきゃなぁ。今欲しいものって何だろう。そんなことを考えているうちに、旧友たちの言葉と飾磨の言葉がつながった。僕は貯めたお金でフルモデルチェンジするべきなのでは?アップグレードするべきなのでは?

    

 

    そう思った僕は購入リストの作成に取りかかった。最優先事項は言うまでもなく服である。大学生になって一度も買ってないし何かしら買おう。そこで始めて、自分がどれだけ服を持っているのかもよくわかっていないことに気づく。本当に服に無頓着なキモオタク。

    結果タンスをひっくり返すと服がわんさか出てきた。思ったより持ってた。衝撃である。そんなわけで早々にリストから「服」の文字が消えた。

 

 

    それから靴や財布、椅子や収納ケースなどいろいろと買い購入リストを着実に潰していった。今月は収支が見合ってない、素敵だ。こんな生活が毎日続いたらどれだけ幸せだろう。5000兆円欲しい。

    次は何が必要だろうかと風呂上がり髪を乾かしているときのことだった。これでもかと踊り狂う前髪。湿気に殺された天パ。あぁそういえば、もうじき梅雨がやってくる。そっと天パが息を引き取る季節が。

    テレビではCMが流れていた。菜々緒がサラッサラのストレートヘアをぶんぶん振り回して「戻れない」「もう戻れない」と言っている。僕もそっちに行きてえ……。

 

 

    かくしてキモオタクは縮毛矯正をかけることを決意した。

 

もうじき梅雨がやってくる

 

    山手線は日暮里を出て反時計回り、田端あるいは駒込あたりまでは、思いの外木々や草葉が生い茂っている。見慣れた光景ほど何も見ていないとはよく言うが、この時期になると梅雨に濡れた草葉の何とも言えない匂いが湿っぽい空気に運ばれてきて、意識的に周りを見るようになる。年に一度の雨の匂い。もうじき梅雨がやってくる。

 

 

    いつかに花火を見に行った。テレビ中継も行われる大きな花火大会で、友達と見に行くなんて初めてのことだった。怪しい雲行きは徐々にその鈍色を深く濁らせて、いつしか激しい雨が一帯に降り始めた。草地に敷いていたビニールシートを被って駅まで猛ダッシュしたけど、着いた頃には全身ずぶ濡れだった。以来花火大会とは縁が無い。その年のテレビ中継は昨年の様子が放送されたらしい。

     

 

     そんな感じで雨にいい思い出なんてない。服は濡れてうっとうしいし、傘は場所を取って邪魔でならないし、洗濯物も干せない。どんよりとした曇り空でげんなりする。けど、不思議と雨模様は好きだったりする。

    「君の名は。」が大流行した昨年、流行に乗じて新海監督の過去作を観なおそうと思い立ち、そのひとつである「言の葉の庭」を観た。雨の新宿御苑でみせる哀しい孤悲の物語。DVDで、AbemaTVで、下北沢の小さな劇場で観たその映画では、普段忌み嫌っているはずの雨垂れや雨音がいつもより愛おしく思えた。そして映画のラスト、画面一杯に広がる雲間から伸びる日差し。梅雨どき恋い焦がれてやまない日の光がこれでもかと鮮やかに画面を包む。

 

 

    本当に好きなのは雨上がりの空かもしれない。日の光が軒先の雨垂れや水たまりに反射して光り輝いているように見える。雲の切れ間から柱のように降り注ぐ様は本当に綺麗だ。 運が良ければ虹も見える。スペクトルなどは考えないでぼーっと眺めていると楽しくなってくる。梅雨の合間に突然やってくる夏日は、いつにも増してカラフルだ。

    新緑萌ゆる5月を越えるとまもなく梅雨がやってくる。祝日のない6月にじめじめと蒸し暑い日々が続くのは気が滅入るし、湿気に弱い天パの毛先はくるくると踊って言うことを聞かない。日の光が恋しいので、少し上を向いてみようと思う。

空白恐怖症に白いキャンバス

 

 

    昔から空白恐怖症のきらいがある。

 

 

    読書感想文は指定字数ギリギリに収まるようにいろいろと言葉や表現を変えた。50字以内での要約問題でも45字は書かなきゃいけないという自分ルールに勝手に縛られていた。とにかく空白は減点対象、悪しきモノだと思いこんでいた少年時代だった。

    その「悪習」は今にも響いている。教授はレポートについて説明する際、「簡潔でありながら内容十分な文こそ素晴らしい」と述べていた。しかしどうして、用紙枚数の少ないレポートができるとどうしても不安に襲われる。もっといろいろ書くべきなのではと何度も見返してしまう。

 

 

    はてなブログの書き始めはこんな風になっている。

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    キャンバスのように真っ白である。当然ながら書き出しのヒントも何も与えられない。「何か書こう!」「これは書いたほうがいい!」と思いたっても最初に現れるのはいつもこの白い画面で、途端に怯えてしまう。こんな真っ白けで何も無い場所に思ったことを書ききれるだろうかと不安になる。ナメクジに塩、空白恐怖症に白いキャンバスといった感じだ。

 

 

 

    近頃フォローしている人を見直して気づいたのだが、どうも私のフォローしている人にはクリエイターな人が多い。私のように文を書いている人もいれば、イラストや音楽、写真に動画、はてはダンスや演劇など、名のつく創作活動に1人はいるんじゃないかと思うほどだ。

    どんな創作であれ最初は全く何も無いところからのスタートだ。白いキャンバスを前にさあどう色を塗るかあれこれ悩んで筆を動かすと、だいたい作品は3つのパターンに分かれる。思い描いたものに近い彩色になるか、塗りたくった結果くすんだ色になってしまうか、諦めて筆を折るか。まぁだいたい思い通りの彩色にはならない。 

    私はだいたいキャンバスを真っ黒にしてしまう。空白恐怖症に駆られてあの色もこの色もと重ねてしまう。結局嫌になって書いてたものをそのまま削除してしまうか、諦めてそのまま公開しあとで後悔する(駄洒落じゃなく)。

 

 

    真っ白なキャンバスに素敵な彩りを施すのがいかに難しいかをよく知っているから、同年代(フォローしている人の多くは自分の±5歳くらい)の人がそうした創作活動にいそしみ作品を作り出している姿を本当に尊敬する。もっとも私のこれは創作もなにもツイッターの延長のようなものなので、同じ土俵にすら立てていないのだが。

    私も作曲やら写真やらいろいろ手を出したが結局続かなくてやめてしまった。化学に心血を注ぐ人生にしようと、大学生の始め凡庸にぼんやりと決意した頃もあったが、あるきっかけからささやかでも生きた足跡を残したいと思い立ち、それでこうして開けっぴろげにやっている。実はわりと大きな決意だったりするので、空白恐怖症などと言っていられないのだ。

    いくつかの小さな作品(?)を公開しているが、今は日記程度にしか思えない。いつかきたるそのときに見返したとき、1つ1つはドットにしか見えなかった種々の作品がモザイクアートのようにキャンバス全体を彩り、私の人生の足跡を描いていたなら。それを楽しみに今日もキャンバスと戦う。

   

    

JKのシャツを脱がせたかった

 

 

    その3年間で、一度もJKの制服に手をかけることができなかった。そして今もなお、何の因果か互いにとって外しやすくなっている逆向きのボタンを、外したことも外されたこともないままでいる。

 

 

    男子校に進んだ友人に「何のために開成落ちたんだよ!?」と叱責を受ける。もちろん例年より簡単だと言われたその年の数学で惨敗した数弱の極みが原因なのだが、結局共学に進んだ私を冗談めかして叱る様子は面白かった。そうやって面白がるから進歩しないとわかっていながら。

    共学で恋愛を謳歌した別の友人からは「何のために共学に行ったの!?」と至極真っ当な(?)叱責を受けた。友人の恋愛話は確かに素敵なもので、自分と友人に何の違いがあったのだろうと聞くたびに考えてしまうが、恋愛第一の友人とひねくれて非リアをステータスにしていた自分との間にむしろ共通点があろうかと悲しくなるのがオチだ。

 

 

    もう二度とJKの制服に手をかけるチャンスは巡ってこないらしい。ReLIFEするか、あるいはキングオブコメディするしか方法が残っていない辛い現状だ。

    もちろん本気でそんなこと考えてはいないし、JKとセックスしてえとかそんな野蛮なことを言いたいわけでもない。「JKのシャツを脱がせる」という高校生にしか得られない淫美な経験を、高校生のときに得られなかったことを嘆いているのだ。背徳感に襲われて胸を苦しめながらも欲望に負けてボタンを外していく、そんな経験をしたかった。それを振り返って青さ若さと笑う経験豊富な大人になりたかった。それがどうして、今もなお童貞を守り抜いている。

 

 

    「一度ヤッてしまうとたいしたことない」とまるでドラッグの誘い文句のように誰かに言われた。そのとき私はどんな顔をしただろう。サンタさんの正体を知ってしまった子どものような心持ちだった気がする。

    つまるところこの歳にもなっていまだに恋やセックスに夢を見すぎている。そう気づくのが遅すぎてずっと童貞を引きずっている。大人になれていない、いつまでも高校生を引きずっているという自覚はしているが、普段のツイートはあのときとなんら変わらないオタク臭さで、体中に染みついた臭いは一向に取れる気配もない。

     恋がしてえ。いつかにそう書いた。立て続けに3組のカップルの仲睦まじい姿を見ればそう思うのは自然だと思うんだが、ともすれば留まるところを知らないリビドーに無意識に書かされたのかもしれないという不安に襲われる。恋がしたいのか、それとも。

 

 

    

 

     

 

  

「理想」を見せられて

 

 

    このひと月で、三組のカップルと出会った。

 

    付き合ってる期間も知り合い方もまるで違う3組なので、三組三葉の仲睦まじい姿があった。私がまだ誰とも築けていない、二人だけに許された距離感にただただ憧れた。

 

    非リアをステータスとし、その自虐ネタで星が飛んでくることを良しとするTwitter人生だった。まるで、非リアであることに命をはっているのかと思われそうなくらいに。
    今でも彼女が欲しいかと言われると怪しい。彼女なんてめんどくさいだけ、とはさすがに思わなくなったが、率先して作りたいと思っていないあたりは進歩がないなぁと情けなく思う。

 

    よく彼氏/彼女がいる人とサシで話す。そういう機会が本当に多くて、その経験から私恋愛知ってますからと錯覚しているような男が私だ。本当はピーマンのように中身がない、申し訳程度の中綿があるだけだ。
    私のことはさておき、そういった場でその人に彼氏/彼女とどうですかと聞くとどうにも愚痴ばかりなのである。延々と惚気を聞くよりは聞きがいがあるが、お独り様のピーマンとしては、今後に活かせそうな経験談として惚気も聞きたいんだけどなあと思うのである。

 

    しかし三組のカップルをじっと見ていると、その一挙手一投足が私のずっと憧れ続けている「理想」であることに気付かされる。ずっと聞きたかった惚気は眼前で堂々と繰り広げられていた。
    パーソナルスペースをものともしない自然体なボディタッチ、目と目で通じる何か、額が触れ合いそうな顔の距離感。こうも鮮やかに形づくられる「理想」を前に、昔なら心の奥でそっと中指を立てていただろうが、今はただ赤子のように親指くわえてないものねだりである。
    惚気話をしないのは独り身への遠慮かと思っていたが、こうして視覚的に惚気を見せつけられると、幸せを語るのに言葉は無力だなと思い知らされる。

 

    映画好きの酔いどれのおっさんに「お前はスプラッタばっか観てないで恋愛モノも観ろ」と説教された。
    それはその通りなのだが、これだけ素敵なノンフィクションを見ているのだから、恋愛映画を見る必要を感じなくなってしまう。
    恋がしてえ。私もリアルなノンフィクションを演出してえ。そう思うほどに、このひと月はいい恋愛映画をたくさん見たような満腹感がある。もし彼女ができたら私はその幸せを言葉にできるだろうか。きっと私はオタクだから「優勝!」くらいしか言えないだろう。

 

 

※2017/03/13のnoteを一部修正

 

 

 

お金を使うということ

● 散財は気分転換

 「服買いに行きたいからつきあってくれ」

    女子高生のような誘い文句だ。残念ながら女子高生でもなければ女子でもないが。何でよりにもよって私に服の付き合いを頼むんだとはてなを浮かべながらも、どうせ暇なので行くことにした。

 

    私と高校時代から付き合いのある人はお察しかもしれないが、私はいまだに当時の服を着ている。これを「物持ちがいい」といえば聞こえはいいが、要は服に頓着がないだけである。

    そういったわけで私は滅多に服を買わない。大学生になってから買ってないような気もする。「服を買う」という経験が年齢に伴っていないので、内心友人が服を買うところを見るのが楽しみでもあった。

 

    私の期待通り、友人はすぱすぱと服を買っていった。その日だけで数着、1-2万ほどのお金が飛んでいっていたと思う。なるほど人は服をこう買うのか、服を買うとこんなに金が飛ぶのかと感動の連続であった。

    神も憐れむ優柔不断なので、二十歳になってもなお1000円単位の買い物をするときはアホほど悩む。100円以上の駄菓子を買うか悩む小学生の気持ちと大体同じだと思ってくれればいい。そんな私なので飄々と諭吉を殺していく友人をオトナに感じた。それとも諭吉に恨みでもあるのだろうか?やっぱり早稲田生だし?

    「よくためらいもせずに金を使えるな」と私が褒める気持ちでそう伝えると「散財は気分転換っしょ、持ってるだけじゃ意味ないし」と笑っていた。

 ● 貯蓄性癖

    「気分転換に散財する」という価値観を覚えたのがそもそも最近だ。それまでの私はただただ貯めることに命を燃やしていた。預金総額の数字が大きくなることに快感を覚える性癖を持て余して、その使い道はさっぱり考えていなかった。

 

    教育とは偉大で、この途方もない「無欲」と、そして貯蓄に命を燃やす性癖が父親に端を発していることは明らかだった。父もまた重度の「無欲」で、その上狂気の「捨てられない」マンである。20代の頃海の監視員をやっていたときにもらったという、「監視員」とデカデカ印字されたTシャツが袋未開封のまま2着出てきたときはさすがに引いた。時代錯誤な服、17年走り回したローラより傷だらけの車、壊れかけというか完全に壊れたラジカセ。ため息が出る。ともかくこうして物がロマンス並にありあまるので、父には新しく物を買おうという気がさらさらない。なのでお金が減らない。

    それでもどうしても物を買わなくてはならないときもある。そうなると父は血眼になって密林を歩き回る。父は送料と手数料を親のかたきのように憎んでいるので絶対に払おうとしない。無料のところを見つけるまでは年単位で待つ。そうして小銭をちりつも式に貯めていく。

 

    貯蓄性癖の極みのような父だが、彼には唯一にして莫大に金を使う趣味(?)がある。平たく言えば投資だ。我が家には私学に通う金食い虫が2人もいる。なるほど金が必要になるわけだ。申し訳なさで心が押し潰れる。

    金食い虫は父のすねをかじりつくし骨で出汁まで取ろうとしてる最中である。卒業はまだ遠い。変な父だが感謝を忘れてはならない。

 

    それはそれとして、この「無欲」と「貯蓄性癖」を過剰なまでに身に染み付けさせたのは、私としてもいささか不満である。 だが父のせいにするのもよくない。勝手に覚えたのは私だし、父のマリオネットでもないんだから、いいかげん操る糸を断ち切って自分のために踊らなくてはならない。

● 贅沢な恐怖

    冒頭の友人は常々「金がない」という。しかしそんな彼は極度のワーホリで、扶養が外れそうだからシフトを入れらんないと嘆き始めた。申し訳ないが、金がないのは働かない上に飲み会を重ねて散財するからだとずっと思っていた。だから本当に驚いたし、ようやく怖くなった。私がきちんと働きだしてきちんと給料を貰い始めたら、莫大な金が私の手元で行き場を失うんじゃないか?何のために今必死にバイトしてお金を手に入れたんだ?

   

    そんな贅沢な恐怖に怯えながら寝癖と赤羽で飲んでいる最中、派手にトマトジュースをこぼした。よりにもよって白いシャツの上にである。

    ……とりいそぎ買わなくてはならないものができた。消極的な購買欲だが、こうして少しずつ「お金を使う」という健常な精神を身につけていこうと思う。