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お金を使うということ

● 散財は気分転換

 「服買いに行きたいからつきあってくれ」

    女子高生のような誘い文句だ。残念ながら女子高生でもなければ女子でもないが。何でよりにもよって私に服の付き合いを頼むんだとはてなを浮かべながらも、どうせ暇なので行くことにした。

 

    私と高校時代から付き合いのある人はお察しかもしれないが、私はいまだに当時の服を着ている。これを「物持ちがいい」といえば聞こえはいいが、要は服に頓着がないだけである。

    そういったわけで私は滅多に服を買わない。大学生になってから買ってないような気もする。「服を買う」という経験が年齢に伴っていないので、内心友人が服を買うところを見るのが楽しみでもあった。

 

    私の期待通り、友人はすぱすぱと服を買っていった。その日だけで数着、1-2万ほどのお金が飛んでいっていたと思う。なるほど人は服をこう買うのか、服を買うとこんなに金が飛ぶのかと感動の連続であった。

    神も憐れむ優柔不断なので、二十歳になってもなお1000円単位の買い物をするときはアホほど悩む。100円以上の駄菓子を買うか悩む小学生の気持ちと大体同じだと思ってくれればいい。そんな私なので飄々と諭吉を殺していく友人をオトナに感じた。それとも諭吉に恨みでもあるのだろうか?やっぱり早稲田生だし?

    「よくためらいもせずに金を使えるな」と私が褒める気持ちでそう伝えると「散財は気分転換っしょ、持ってるだけじゃ意味ないし」と笑っていた。

 ● 貯蓄性癖

    「気分転換に散財する」という価値観を覚えたのがそもそも最近だ。それまでの私はただただ貯めることに命を燃やしていた。預金総額の数字が大きくなることに快感を覚える性癖を持て余して、その使い道はさっぱり考えていなかった。

 

    教育とは偉大で、この途方もない「無欲」と、そして貯蓄に命を燃やす性癖が父親に端を発していることは明らかだった。父もまた重度の「無欲」で、その上狂気の「捨てられない」マンである。20代の頃海の監視員をやっていたときにもらったという、「監視員」とデカデカ印字されたTシャツが袋未開封のまま2着出てきたときはさすがに引いた。時代錯誤な服、17年走り回したローラより傷だらけの車、壊れかけというか完全に壊れたラジカセ。ため息が出る。ともかくこうして物がロマンス並にありあまるので、父には新しく物を買おうという気がさらさらない。なのでお金が減らない。

    それでもどうしても物を買わなくてはならないときもある。そうなると父は血眼になって密林を歩き回る。父は送料と手数料を親のかたきのように憎んでいるので絶対に払おうとしない。無料のところを見つけるまでは年単位で待つ。そうして小銭をちりつも式に貯めていく。

 

    貯蓄性癖の極みのような父だが、彼には唯一にして莫大に金を使う趣味(?)がある。平たく言えば投資だ。我が家には私学に通う金食い虫が2人もいる。なるほど金が必要になるわけだ。申し訳なさで心が押し潰れる。

    金食い虫は父のすねをかじりつくし骨で出汁まで取ろうとしてる最中である。卒業はまだ遠い。変な父だが感謝を忘れてはならない。

 

    それはそれとして、この「無欲」と「貯蓄性癖」を過剰なまでに身に染み付けさせたのは、私としてもいささか不満である。 だが父のせいにするのもよくない。勝手に覚えたのは私だし、父のマリオネットでもないんだから、いいかげん操る糸を断ち切って自分のために踊らなくてはならない。

● 贅沢な恐怖

    冒頭の友人は常々「金がない」という。しかしそんな彼は極度のワーホリで、扶養が外れそうだからシフトを入れらんないと嘆き始めた。申し訳ないが、金がないのは働かない上に飲み会を重ねて散財するからだとずっと思っていた。だから本当に驚いたし、ようやく怖くなった。私がきちんと働きだしてきちんと給料を貰い始めたら、莫大な金が私の手元で行き場を失うんじゃないか?何のために今必死にバイトしてお金を手に入れたんだ?

   

    そんな贅沢な恐怖に怯えながら寝癖と赤羽で飲んでいる最中、派手にトマトジュースをこぼした。よりにもよって白いシャツの上にである。

    ……とりいそぎ買わなくてはならないものができた。消極的な購買欲だが、こうして少しずつ「お金を使う」という健常な精神を身につけていこうと思う。