テレビの前で年越しをするのが当たり前の人間だった。両親と妹と卓を囲み、各々ドリンクを用意してその時を待つ。決まって我が家は妹の采配によりジャニーズカウントダウンを視聴する。一年に一度だけ放映されるテンカウントを合図にグラスを鳴らす。それが20年続いた私の年越しだった。
今年は様子が違った。朝からバイトに出かけ、その足で友達と合流し、外で蕎麦を食べ、外で年を越した。神社に並ぶ人たちの色めきざわめきが今年の年越しの合図だった。何の神を祀っているのかもわからぬ神社の賽銭箱に五円を投げては、頭の中で飽和する願い望み祈りなんかを「今年もよろしくお願いします」の言葉の内に込めて弾丸のように打ち放った。
暗闇に唯一光るコンビニは誘蛾灯のようで、だだっ広い駐車場に集う若者の風景は田舎の夜そのものだった。友人たちが酒を買っている合間に、2017年の一本目を咥えた。意識は亡霊のように12月31日を彷徨っていた。さしづめ「ぼくのふゆやすみ」だろうか、どうにも致命的なバグのように年明けを探し続けている。
cheのロゴが火に消えいこうとしていたので火を消し、スマホを開いた。TLには、紅白歌合戦で魅せたガッキーの可愛さに悶える声とあけおめの言葉で溢れかえっていた。若者達はコンビニの駐車場で記念撮影、遠くの方で初嘔吐をする男性の姿。普段ならありもしない光景が、そこかしこに広がっていたことにようやく気づいた。
友人たちが酒を携え帰ってきた。彼らが帰ってくる前にバグを修正できてよかった。「こんなところでなんだけど」の掛け声とともに、新年を祝う乾杯をした。アルミ缶のぶつかり合う心もとない音が、年明けの合図になったようだ。
※2017年1月1日のnoteを一部加筆修正