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自意識過剰の差し馬

 

◆目に見える不安ほどストレスになるものはない。その通りである。

 

◆知っての通り(自意識過剰)、私には先延ばしの癖がある。期限が設定されているなら、期限内に終わらせればいいじゃないかの魂胆。それはどうも母親譲りらしく、目の前のタスクは迅速に、がモットーのいらちな父親からよく怒られが発生する。

    そういう癖がついてしまったのは、ひとえに今までの人生そのもののせいである。すなわち、今までの人生ではタスクを先延ばしにしてなんとかなってきたという「悪しき経験」だ。

 

◆わかっている。絶対に、いつか足元をすくわれる。現に今も研究室関連の雑務において窮地に立たされている。こんなお気持ちを書いている暇はなく、早く部屋に戻ってキーボードを叩け、という話なのである。

    しかし、私の人生が作りだした悪しき経験の悪魔は甘く囁く。まだ大丈夫。まだ期限ではない。君にはまだ残された時間があり、それはすなわち君の余暇だ、と。

 

◆そうして今日も怠惰を貪ってしまう。一方で私は信念として、少し啓発セミナーみたいな言いぶりになるけど、自過剰になることは、そのうえで事を成すことは、一種の成功経験になると思っている。

    日本人は(主語がでかい)、そういう自意識過剰な人を嫌う傾向にあるし、かくいう私も他人のそれに関しては鬱陶しさを感じてしまうところはある。ただ、社会的な成功を収めている人を見る限り、間違った考え方ではないのだろうと、安心してしまってもいる。

 

◆「やりたいこととやるべきことが一致したとき 世界の声が聞こえる」 このお気持ちブログでも度々引用している銀河美少年の金言だ。初めてそれを聞いた中学生のあの頃から、ずっとこの言葉が私の胸に引っかかっている。

    オタクなのでかっこいい言葉をさらに引用すると、ドストエフスキーも似たようなことを言っている。

絶望の中にも焼け付くように強烈な快感があるものだ。ことに自分の進退窮まった惨めな境遇を痛切に意識するときなどはなおさらである。

死地からの快復、これほど人にエネルギーを与えるものはない。最後の直線でケツを叩かれる差し馬のように、今日もデッドラインと戦っていこう。

 

 

 

※そうは言いますがきちんとタスクをこなしていくことが「上手く生きる」ということです。各位はあまり真剣に受け止めないでください。