「人生を変える出会いがある」
映画が好きなもんで、いろんなキャッチコピーを見るんだけど、どれもこれも大層なお言葉を並べていて見ていてむず痒い。そんなんだから恋愛物や青春物にあまり手を出せないで、ひねくれたオタクになってしまった。
■自虐はさておき、人生を変える出会いってそんなに大層なものか。確かに人間七十億人もいれば映画みたいな「出会い」があった人も何人かいるだろうけど、そのうちの一人に入るような出会いがあったか。
私は。あるいはあなたは。「私の人生を変えた物」とはっきり認知しているものがありますか。映画になりそうなほど素晴らしい出会いでしたか。というか「人生が変わった」瞬間を覚えてますか。
そう聞かれるとなかなか答をすぐに出せないかもしれない。対して私は、意外なことに、人生が変わった瞬間を痛いほどよく覚えている。つまり、オタクになる前と後だ。
■中二の夏。祖父母の家に帰省したときのこと。その夜は従兄弟の部屋に布団を敷いて眠った。
遠方に住んでいた私は彼と年に二、三回しか会ってなかった。正月最後に会ったときまでは普通のバスケ少年だったのに、その夏から中身が一変していた。
夜、そろそろ寝るかと言ったところで、従兄弟は枕元にあったCDデッキの電源を入れた。
「これから寝るんだけど」
「最近は音楽流しながら寝るんだよ」
そういって流れ始めた音楽は想像していたどれとも違った。初めて接するジャンルだった。妙に高い声の女性が、えらい早口で何か歌っている。
「何これ」
「『けいおん!』って知らない?」
■たったこれだけだ。あの夜、従兄弟がGO!GO!MANIACを流さなければ私はオタクになってなかった。こんな些細なことで私はオタクになってしまった。 映画のコピーが喧伝するような、煌びやかな「人生を変える出会い」とはほど遠い。
あのとき素直に寝ていれば、オタクルートを踏まない私が、本キャンでウェイウェイしている私もいたかもしれない。TwitterよりInstagramを好んだ私がいたかもしれない。想像するだけでヘドが出る。
何を血迷ってりこきゃんでくすぶっているのか、と言われると心が痛いけど、オタクだったから知り合えた人たちとの付き合いが一番長いし、道を踏み誤ったとは全く思っていない。 今日もこうしてアニソンを聴き、明日の研究から逃避する。