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怠惰は刹那の蜜の味

 

◆オタクは「刹那」の文字が好き。中二の頃から変わらない。

 

◆前回の記事がそれはもうたくさんの人に読んでいただけて、書き手としては至極光栄なことです。ありがとうございます。

    この記事の中で私は何度も死んでしまいましたが、今回は続編、というか補足的な意味合いで、怠惰を貪ることの天国と地獄について触れていきたいと思います。

 

◆私が授業をサボったのはただの1度きり。その授業は一般教養のカテゴリで、出席して感想カードさえ書けばAは確実という授業。

    私は高校の頃の同窓生とその授業を受けていました。第六回だったか、私もその人も授業に飽きていた頃、一応教場までたどり着いてはいたがどうも気分がノらずにいました。

『映画でも見に行かない?』

    そして教場を抜けて、池袋の今は潰れた映画館で「イニシエーション・ラブ」を観ました。何とも言えない背徳感と単純な映画の面白さと。これ以上にない映画鑑賞。評定はCでした。

 

◆今もこうして、就活に修論に追われているというのに、シーシャを吸いながらお気持ちを書く日々。迫られている中で一旦深呼吸をする、その余裕な素振りに「粋」を感じたり(全く粋ではない)。

    それでもこの、刹那の蜜の味に至高の快楽を覚えてしまってからは、堕落と破綻の連続。あのときああしていれば今もっと楽だっただろうに。そう思うことは多々あっても、でもあの怠惰に後悔するようなこともなく。

 

◆いつかにも書いたけれど、こういった怠惰から来る破滅の快楽を楽しめるのは、結局生存バイアスがバッキバキにかかっているからです。今まで一度も「本当に死ぬ」ようなことがなかったからか、あるいは怠惰と誠実のバランスが良かったからか、のうのうと今も生きているからこそ蜜を享受しつづけていられるのです。

    さて、新大学生の皆さん。受験を乗り越えた皆さんの高い意識が続くのはおよそ六月頃までで、そこから先はそれまでに見つけた趣味なりバイトなり彼女なりにうつつを抜かす日々に成り下がる人がほとんどです。今、一番暇してるでしょう。今考えるべきは『あなたがどうなりたいか』です。どうか私のような阿呆には成り下がらないでほしい。怠惰に「甘さ」を感じた頃は、一度自分を見つめ直してね……。