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自由な孤独

 

◆腰をいわした。くしゃみをするたびに激痛が走る。身をかがめることも辛い。咳をしても一人。しかし、楽だな一人。

 

◆大学のロックアウト期間中、特に行くあてもやることもなかったのでひたすら引きこもっていた。私がそうしている間も家族は忙しく、一人でいるにはでかい家でひたすら「自由な孤独」を貪った。家族のいない我が家ほど快適で心地いい場所はない。

 ロックアウトの一週間でマストのタスクは修論計画書と就活が少しくらいだったので、それらを早々に終わらせたあとはひたすらパソコンとにらめっこしていた。VTuberの切り抜きを見たりMinecraftを始めてみたり、文章を書いては消したりK-POP平沢進のライブ映像を見たり。楽しいはいくらでもあった。無限に自由だとえてして暇になるとか言ってた人たち、真剣に暇と向き合ったことがないんじゃないか?

 

◆金曜日の夜、映画『ミッドサマー』の公開がTwitterのトレンドに上がった。いかにも私の好きそうな映画で、その日のうちに翌日12時からの上映にあたりをつけた。実に一週間ぶりの外出が決まった瞬間であった。

 さて、どうしよう。声をかければ来てくれそうな人はいる。鑑賞後にシーシャをキメながら感想戦をするのも悪くない。だけどどうして、この一週間の「自由な孤独」があまりに楽しくて、連休終了まで人に会うのが億劫になってしまった。それで私は翌日土曜日、一人でJ.S. BURGERS CAFEでハンバーガーを食べ、池袋HUMAXシネマズで『ミッドサマー』を鑑賞し、シーシャをキメた。帰りの電車で心に残ったのは、言い表しようのない多幸感と、言い知れない虚無感と。

 

◆実にわがままで身勝手だ。一人でいることをそれなりに楽しむくせに、あるとき急に虚しさを覚える。それはミクロに一日単位で、あるいはマクロに一年単位で、躁鬱を繰り返す。一人を楽しもうと決めたのにTwitterで友人にリプライを飛ばす。『ミッドサマー』を観たあとも結局LINEで即日感想戦をした。「自由な孤独」を楽しんでいるだなんて、結局強がりだったなあと気づかされた。友人はここにはいなくてもどこかにはいて、どこにいようとも何かしらで繋がっているという事実に、もたれかかって慢心しているだけだった。これがインターネットの結末なのか。

 明日からまた社会に引き戻される。ここまで引きこもった生活ももう当分送れないだろう。明日からはまた少しずつ、人の温かさとか何とかを噛みしめていこうと思う。