◆そんな程度の低い遠慮で「できた人間」を演じるな。
◆寒々しい年末です。令和ちゃんは相変わらず気温調節のつまみ操作がヘタ。SOUND VOLTEX初心者か?
こう寒いと暖かいものが食べたいですね。鍋、おでん、それもいいでしょう。しかしそんなハイカラなものは酒乱の街・高田馬場には存在しません。セブンイレブンが関の山。馬場で温まるには、ショットを呷るか、でなければラーメン。あるいはつけ麺、油そば。これに限ります。
◆「にんにく入れますか」
月曜日のある昼時、麺屋でそう聞かれて、淀みなく「お願いします」と頼んだ。しかし周りを聞けば「いらないです」とか「少なめで」とか。
なぜだ。月曜日の昼ごはんだからか? すぐまた研究室に戻って人と会うからか? それともこの後キスのご予定が? ……まあ年末だもんな。ご予定があってもおかしくないよな。
そうして人間は口臭一つに美を纏う。いや、否定はしない。それは間違いなく正しい。ヤニカスでコーヒーカスなので口臭への美意識は失ってしまったけど、本来はそうあるべきだ。しかし、しかしだ。お前だってそれ、ラーメンだぞ? にんにく、入れたくないのか?
◆若者の強みなんて一にも二にも「若さ」だろう。明日なんて知らない、今を楽しめの刹那主義じゃなかったのか。
今年は縁あって文学フリマに二度寄稿させていただいた。初めての寄稿文となったいつか消える灯台のなかでも、若者の刹那主義に触れた。消えいくストーリーをものともしない感性こそ今の若者。「今を生きる」 その輝きこそ美しいんじゃなかったのか。だのになぜ、数分後のためににんにくを遠慮するんだ。
◆私の行動倫理の根底には、いつだって死の影がつきまとっている。二秒後、車に引かれるかもしれない。五分後、心停止するかもしれない。こうしてお気持ちを言葉に表すようになったきっかけだって、そうなのだから。突如来たる虚無を思えば、今に妥協はしたくない。
今年も“運良く”年末を迎えられそうだ。また一つ老いることは確かに虚しいけれど、しかし、来年もまた年末を迎えられるとも限らないのだ。だったら。今食べてる飯がより美味くなるなら、にんにくは入れるだろう?
◆クリスマスソングが街に響き渡るようになった。手を繋いで歩く二人を横目に、今日も私はポケットに手を突っ込んで、寒さに身を縮ませながら鬱々と歩く。
どうか幸せに年越ししてほしい。クリスマスも年末も特別な日だ、後悔のないように。いや、特別な日に限ったことでもない。ありふれた平日でも、あとになって振り返ればそれはかけがえのない「あの日」になるのだから。
精一杯、目一杯の今が、楽しかった過去になるのだから。だから、お前ら。
ラーメンには、にんにくを入れろ。