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8000日分の『かいこ』

 

◆あの日々の何日分を覚えているのだろうかなどと、懐古し回顧する毎日。今や未来に潤いは足りず、過去を頼りに糸を紡ぐ蚕。……さすがに、言葉遊びがすぎるな。

 

「懐古厨」という言葉が悪口として扱われるようになって久しい。故きを温ねて悪いことはなかろうと胸を張っても、お前は新しきを知っていないだろうと言われ、しょんぼり。

    懐古厨筆頭、字は蚕とまで自負する私だ(?)。 しかし、『時間ははっきりとした悪意を持って僕の上をゆっくりと流れていき』a、不要と判断されたデータは惜しげもなく焼却炉へ、跡形もなく。日々傍若無人に押し寄せる「新しい」を前に、容量が決まっている出来の悪いおツムじゃ、まあ、致し方ない。

 

◆日常系アニメ、久しく見ていないけれど、本当に他愛もない会話こそが愛おしくて。しかしホントの世界では、そういう他愛もないことから順に、抜け落ちていく。

    私はどんな授業を受けていただろう。級友たちとどんな会話をしていただろう。約8000日の人生の内で、一体何日分の愛おしさを覚えているんだろう。いやむしろ、一体何を忘れてしまったというんだ!

 

◆思い出せるのは、アオハルに気が触れてた彼ら彼女らの可愛らしいメロドラマばかり。茗荷谷にあったボロなカラオケ、後夜祭に打ち上がる花火、水圧がおかしい体育館の冷水機、ずっと蒸し暑かったシンガポール……。劇物指定をくらいそうな記憶ばかり心根にしみついて。特異な刹那のワンシーンだけがフラッシュバックして、その前後はまるで思い出せない。

    脳みそは「文脈」を記録しない。たった一行の刺激的なセンテンスだけを恣意的に選びとって、大事に大事に温める。だから人は懐古を躊躇わない。今がどれだけで退屈で無様だったとしても、記憶に留まっている過去はどのシーンも「楽しかった」のだから。

 

10年後の私が今を思い返そうとしたら。そう思うと怖くて仕方ない。ここ最近、後世に残すレガシーたりえるような刺激的な出来事が、はたしてあっただろうか。

    そう。刺激は何もいい方向ばかりではない。悪い方もまた刺激。幸いにも恵まれた友人関係の中で、辛い記憶はほとんど残っていないが、こんな能天気な私にも苦い記憶や恥ずかしい過去くらいはある。だが、今は怖い。ともすれば酸いも甘いも噛み分けられないまま、20歳前後の記憶がすべからく没落してしまうのではと思ってしまうほど、明るい出来事がまるでない。他人の色恋ばかり追いかけていた大学生の4年間。彼らのことははっきり覚えているのに、私自身のことはほとんど覚えていない。私、大学に通ってたっけ?

    私はこれからも懐古厨でありたい。10年後も「あの頃は楽しかった」って言えるおじさんになりたい。そうして若い人たちに「またこの人は……」って言われるのもやりたい。その未来のために、今、何をしよう?

 

 

a: 「秒速五センチメートル/新海誠」より