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必要

 

◆人生には無駄な時間が多すぎる。

 

◆会えば必ずコンテンツ論を交わす旧知のオタク。たびたびツイートや当ブログに出現し、その度に「俺の発言を書くな」と怒られるのだが、書く。

    5月12日、コミティア開始の待機列で始まったのは「人生には無駄な時間が多すぎる」という話だった。

『漫画に限った話じゃないけど、コンテンツには無駄なシーンがない。必要なシーンだけが選択されている。一方で、人生には無駄な時間が多すぎる。爪を切ってるときとかな』

    無駄な時間、のたとえが秀逸すぎだ。詩人みたいなことを言うな。私の立つ瀬がないだろう。

 

◆爪を切る動作は決して無意味な時間ではない。伸ばしっぱなしの爪は不健康で不衛生だ。だから決して無意味じゃない。でも、面倒な時間だ。

    無駄なことはあっても無意味なことはないとは誰のセリフだったか。麻雀もシーシャも、コンテンツを摂取することも誰かの惚気や愚痴を聞く趣味も、人生においては全くもって無駄な行いだがちっとも無意味ではない。よしんば誰かの目には「無意味だ」と見えてしまったとしても、私が有意義だと叫べばたちまち有意義になる。私の有意義は私が決める。全ての行いに神の視点から決定権を下す。

 

◆無意味の対義として有意義を使った。では無駄の対義として「必要」があるとして、私にとっての「必要」ってなんだろう。

   たとえば衣食住がそうだろう。しかしそれは人類全体に必要なことであって、私の人生に限ったことではない。私の人生においてのみ必要なことなんてあるのか? 一個人の人生にのみ必要なエトセトラって一体なんだ???

    旧知のオタクは『コンテンツでは必要なシーンだけが選択されている』と言った。しかしそれらはコンテンツを成立させるために必要なシーンだ。作中のキャラからしたら、取るに足らない日常の一コマかもしれない。生存戦略埒外にある「必要」は、神の視点からすらも定義できないんじゃないか。

 

◆ア゙ッッッッッ!!!!!

 

◆もしかしてここで「恋人」が出てくるのか?????

 

◆……もちろん、人生における「必要」は人それぞれだろう。恋人、仕事、趣味。無くても生きていけるけど、無ければ死んだも同然と。

    生きるって「必要」を探すことなんだな。だから私の人生にはまだ色がないんだ。これが無ければ死ぬ物なんて、今のところ持病の薬くらいしか思いつかない。

   ウルキオラは、死に際にようやく「心」に気づいた。そんな手遅れにはなりたくない。22年でまだ見つけられていないのだから、きっとそれを探す力が私には足りてないんだろう。私の井上織姫を、それを見つける手助けをしてくれる人を、早く見つけないといけない。私の「必要」は、気づかないだけですぐそばにあるはずだから。