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世界の隅っこで

 

◆ワン・ツー。

 

◆音楽のジャンルについてはあまり好き嫌いがないという自負がある。沢田研二から米津玄師まで、多様なジャンルにハマれる。この感性の背景には、人格形成期といわれる14歳のころにどっぷり聴き込んでいた初音ミクがいることは間違いない。

    今でこそ漫画を専攻としているオタクだけど、そもそもの専攻はボーカロイドだった。毎週ボカランを欠かさずチェックしていた。プレイリストはボカロだらけだった。好きなPの新曲がランキングに上がったときなどは天に舞い上がるような気持ちだった。無限に暇だったあの頃、期せずして感性に磨きをかけていたというのはラッキーだった。

 

◆現実のミュージシャンと異なり、初音ミクには初音ミク自身の曲調がない。作曲者の数だけの色があり、それらを無差別に聴いた経験が、今の「何でもハマれる」自分に繋がっている。

    特に今の自分に繋がっているなあと感じるのは、梨本ういさんの厭世観と、すこっぷさんの女性的感情だろう。こうして書いたものを読み返してみると、恥ずかしいくらいにその影響を痛感する。

 

◆そうして私の14歳が徐々に固化され、22歳の私の人格がある。あの頃の思い出は何もかもが眩しいし、かけがえがない。遠い記憶でも隅っこで光り続ける私の欠片。その一片が、平成の終わりとともに突然砕け散った。

    wowakaさんが亡くなった。samfreeさんやほわほわPが亡くなった以上の虚しさだ。14歳のあの頃、とち狂ったように聴いて歌った「ワールズエンド・ダンスホール」 歌ってみたもMADも無数に作られた。無数に見届けた。間違いなく私の中核のひとつを作り上げた人が、亡くなってしまったのだ。

 

◆可愛い可愛い少年私には、あのリズムが気持ちよかっただけだった。今となっては歌詞が響く響く。『きっと何一つ変わらないから、枯れた地面を這うの』 全く無味乾燥な毎日そのものだ。辛くっても這って進むしかない。

    破片が砕け散ったとしても、砂粒を集めればきっと輝く。光の下で踊り明かして高みを目指せばきっとそこには、感嘆の光景が広がっているんだろう。死ぬまでに必ず見届けてやる。下々を見下ろして高らかに叫んでやるんだ。

 

『なんて綺麗な眺めなんでしょうか!』