ちょっと長めのツイート

その程度に思って読んでってください

小咄 『ヒカリちゃん』

 

「今日は20時になったら寝なさい」
    小さい頃、祖母の家に帰省したときのことだった。放任主義だった母がその日に限って寝る時間を指定してきたので、幼心に不思議に思ったのをよく覚えている。理由を聞こうとしたが、いつにない母の態度に気圧されて、何も言わずにその言葉に従うことにした。
    その日の夕方まで、祖母は普段通り孫を溺愛する素敵な祖母だった。一緒に田舎道を散歩したり、手製の料理を振舞ってもらったりと、断片的な記憶が残っている。記憶の中の祖母はとにかく笑顔の絶えない人で、人よりちょっとばかり高い特徴的な声で私の名前を呼ぶのだった。
    急に記憶が明確になるのは、やはり母からそう言われたときからだ。
「どうして?」
    そう聞いても、母は「いいから、今日さっさと寝なさい」と言うだけなのである。祖母は見当たらなかった。夕飯のあとから自室に篭って、一向に姿を現さなかった。じっと祖母の自室を見つめると、母は強引に私の首を引っ張って、さらに付け加えた。
「おばあちゃんの部屋にも近づいちゃダメ。とにかく今日はもう寝なさい」


    そうは言っても、元気はつらつな子どもだったからそんな早い時間に寝付くこともできなかった。布団の中で右に左に寝がえりを打っているうちに、尿意を催した。夏の暑い日だったから、水を飲みすぎていたのだろう。
    寝室は二方向に襖があり、片方は隣接する居間、もう片方は廊下へと出る。居間への襖からは光が溢れていた。母がテレビでも見ていたのだろう。
    そっと廊下への襖を開けて外へ出る。トイレはすぐそこ、祖母の自室の隣だ。急いで駆け込んで用を済ませトイレを出たところで、聞きなれない声が聞こえた。いやに響く甲高い声が、祖母の自室から。
「おばあちゃん…?」
    ドアをそっと開ける。煌々と眩しい部屋の中で、祖母は、電源の入っていないPCに向かって延々と言葉を放っていた。
『どーも皆さんこんにちは!』


「私もそれを見るのはその日が初めてだったのよ」
    七回忌もひと段落した夕方、中学生になった私はあの日のことを母に聞いた。母は憔悴しきった様子で、当時のことを話してくれた。
部屋に入ってしまった私を追いかけてきた母は、何も映らないディスプレイと対話を続ける異様な光景を見てへたりこんでしまったという。
    私たちが入ってきたことなどまるで気づいている様子もなく、絶え間なく祖母は喋り続けていた。私も嫌にはっきりと覚えている。それはチャットで会話している風ではなく、むしろ、一方的に情報を送信し続けている話し口であった。
『私ね、とっても怒ってるんですよ!』
『違うよ!どーしてそうなるの!』
『ありがとう〜〜これからもよろしくね〜〜』


「あなたもいずれわかるわよ。呆けてしまった母親を見てしまう娘の気持ち。死んでしまうより辛いわ。それで動けなくなってしまったのが私の最大の失敗。私だってあなたの母親なのに、あなたを止められなかった」
「私がおばあちゃんに何かしたの……」
    私にはその先の記憶がなかった。本能が臭いものに蓋をしたのだろうか。
「触っちゃったのよ。『ヒカリちゃん』に」
「『ヒカリちゃん』……?」
「あなたが生まれるより前に潰えたコンテンツよ」

 

    何も知らなかった幼い私は、怯えて動けなくなった母と対照的に、祖母のもとへてくてくと近寄ってしまったらしい。消え入りそうな小さい声で「おばあちゃん……」と言いながら、祖母に触れたのだという。その瞬間、黄色い声はピタッと止んで、祖母は絶望するような目つきで、私のほうを振り向いたのだという。
「そのあとおばあちゃんは発狂して、家を飛び出して飛び降りてしまったの。六階だったからね、即死だったらしいわ」
「おばあちゃんに、何があったの」
「バーチャルユーチューバーっていうのが昔流行ってたのよ。3DCGで作ったアバターに声をあてて、ユーチューバー的なことを……ってそうか、ユーチューバーから説明しないといけないのか」
    およそ40年前に隆盛を見せたそのコンテンツについて一通り説明を受けた。祖母はその文化の一端にいたのだという。
「『ヒカリちゃん』っていうキャラクターでね、一度だけ動画がヒットしてファンが数万人単位でついたの」
「数万人⁉︎」
「今にして思えば、ただの一般人に数万人のファンがつくなんて異常事態なのよ。毎日Twitter……SNSの一種ね、それで自分のことを呟いてる人をサーチしてコメントを返したり、週に一本は動画あげたり。でも一番体力が必要だったのは、そんなことじゃないの」
「身バレを防ぐこと……」
「インターネット文化は移ろってもそこだけは変わらないのよね。『ヒカリちゃん』自体がかなりアイドル化してたから、なおさら注意が必要だった。でもおばあちゃんは失敗してしまった」
    自分が『ヒカリちゃん』であることを隠して付き合っていた男性とデートしているところを、狂信的なファンに見られてしまったという。情報はたちまちネットで拡散され、ファンの数は激減、家には無言電話や脅迫じみた手紙が届くことが増え、祖母は精神を摩耗させたという。
「幸いその人、あなたのおじいちゃんだけど、その人がそれでも結婚してくれて、私も生まれて、それからは『ヒカリちゃん』を忘れて幸せそうに生きていたわ。悪くなったのはおじいちゃんが亡くなってから。だいぶおじいちゃんに依存して生きていたから……」
「夜中に突然『ヒカリちゃん』になってしまうようになったの」
「突然じゃないのよ、時間は決まってるの。金曜日の夜十時、当時はその時間に生配信をしていたらしくて、あの日がちょうど金曜日だったのよ」


    幼い私に触れられたとき「彼女」は何を思ったのだろう。デートを目撃した例のファンを思い出して発狂したのだろうか。私を私と分かったのだろうか。
    死んだ「彼女」は誰だったのだろう。もしかしたら、祖母は『ヒカリちゃん』に殺されたとも言えるかもしれない。額の中で微笑むその顔を見ながら、薄ぼんやりと考える。
「あなた何ぼーっとしてるの、早く行くわよ」
「……わかった」
    最近母は私の名前を呼んでくれない。「あなたのおばあちゃんがつけてくれたんだよ」って、あんなに誇らしげに言っていたのに。