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魔法にかけられて

 

 

「目で見ているものが現実とは限らない」

    って言葉聞いたことない?私はある。絶対なにかの漫画で読んだことがある。というか異能力バトル系なら確実に誰かが言ってるでしょ。幻術使い系の人が。私のBibleにも同じような言葉があったもん。いったいいつから鏡花水月を使っていると錯覚している?

 

 

▪️少年だったあの頃はそりゃわくわくしながら読んでいた。一体何が現実で何が幻なのか? 順調にストーリーは進んでいるけど本当に大丈夫か? 日番谷、それはもしかして雛森じゃないのか?

    そして読み終えたあとに漫画を閉じて、周りを見渡してふと思うわけです。私の見ているこれらは全て現実なのだろうか。そうして部屋にあるものをペタペタと触っていくわけ。そしてそれらが紛れもなく現実であることを確かめて少しがっかりしてしまう。

 

 

▪️今思えば、幻のお世話にならない生活を送れていたってことはとても幸せに生きていたってわけで、幸い今もなお変なものが見えたり変な音が聞こえたりなんてことはない。

    魔法使いも魔術師もいたらいいなくらいには思っているけどまだお目にかかったことがない。だから「幻を見る」なんて経験がないんだけども、幻を見ずして現実を語っていいものかと思ってしまう。

 

 

 ▪️幻を「本当はそこにないのにあるように感じていまうもの」と捉えるなら、その対比として現実は「絶対的な存在」になる。哲学めいてきたな。

    最近Twitterをしているとものすごい写真がRTで回ってくる。特に夜景の写真。私こんな綺麗なところ知らないってくらい美しい輝きを放つ東京。

    最近の写真はカメラの性能もさることながら加工技術もぐんと跳ね上がって、情景に一番適した仕上がりを見せてくれる。それは人の目には到底できないワザで感心してしまう。一方でふと考える。「情景に最も適した美しい修正現実」を現実と言っていいのか。

 

 

▪️マーライオンにがっかりした。期待していたラーメンがそうでもなかった。オフ会の相手がアイコンとだいぶ違った……。美しく見せるワザが現実に夢を添えている。抱いていた過大な理想が幻となって消えていく。

    幻と知って初めて現実を強く認識できるならば、なるほど私たちは、幻術使いの世話ならずして現実を肌で感じている。巷には、特に愛してやまないついったーらんどには幻で溢れている。魔法使いや魔術師は思いのほかすぐそばにいたらしい。なんと素敵なことだろう。

    今はせめて、この目で見ているものは現実だと信じていたい。そう心に決めて目をかっぴらくと、夜空に浮かぶのは世にも奇妙なスーパーブルーブラッドムーン。宇宙レベルの幻なんて、太刀打ちできるはずもない。