ちょっと長めのツイート

その程度に思って読んでってください

画面の向こう

 

 

    画面の向こう、という表現が好きだ。

 

 

    身の回りには画面で溢れている。テレビ、パソコン、スマートフォン。1日のほとんどをTwitterで溶かしている僕は、現実と画面どちらをより長く見つめているのかと聞かれると即座に返答できないところである。別に僕に限ったことじゃないと思うんだけど。

 

 

    カメラ好きな人がよく使っているハッシュタグ「#ファインダー越しの私の世界」というのがある。覗くとそこには素敵な世界が広がっていて、たまに癒されたいときによくタグ巡りをしたりする。

    ファインダーを覗いて見えるのはその人の眼に映るまでの世界だ。かつては僕も挑戦していたが、いつしか写真を撮らなくなってしまった。ファインダーを覗くよりも、画面を見つめている方が性に合った。画面を覗けば、現実には見えないものだって何でも見えてくるから。

 

 

    画面の向こうでは人生が広がっている。僕の知らない人生が、受信手段がなければ知り得なかったであろう誰かの今日の一日が手に取るようにわかる。こんなに面白いことはない。

    しかし今は送信過多の時代。興味のないことや知りたくないことまで知り得てしまう。有名人が死んだ。哀悼のツイートが次々と浮かび、連日連夜それなりの尺を取って伝えられているが、僕にしてみれば「とてもよく知っている赤の他人」だ。有名人である以上訃報がニュースになるのは仕方ないにせよ、連日連夜悲しみを押し付けられるとげんなりする。

    さておき、そうしていろんな人生を目にして自分の人生に変化を起こせるかどうかである。画面の向こうで繰り広げられるそれが自分の人生への刺激となればTwitterをやる意味もあろうに、今のところ何にも有効活用できていない。

 

 

    いつかの僕のクラスメイトが画面の向こうで楽しそうに音を奏でている。時を同じくして、そんな煌びやかを僕はベッドに寝転がって観ている。ひげをそらなくちゃとか、明日の準備しなくちゃとか、思うところすべて投げ捨てた怠慢がベッドに寝転がってその音色に聞き入っている。

    僕が遅れてるんじゃなくてみんなが先んじてるだけなんだと言い聞かせるのもそろそろ怖い。確かに頭の中では「Do it!!」おじさんが僕を励ましてくれているんだけど、おじさんはDo   it!!!しか言えないから何をすればいいのかまで教えてくれない。とり急ぎこうやってまたはてなを開いたけど、これがおじさんの言うitだっただろうか。

     何をするにも何を書くにも考えのまとまらないLONLEY NIGHTS。別に上手いこと言えてないし、とりあえず髭を剃ろうと思う。