ちょっと長めのツイート

お気持ちを配信しています

空白恐怖症に白いキャンバス

 

 

    昔から空白恐怖症のきらいがある。

 

 

    読書感想文は指定字数ギリギリに収まるようにいろいろと言葉や表現を変えた。50字以内での要約問題でも45字は書かなきゃいけないという自分ルールに勝手に縛られていた。とにかく空白は減点対象、悪しきモノだと思いこんでいた少年時代だった。

    その「悪習」は今にも響いている。教授はレポートについて説明する際、「簡潔でありながら内容十分な文こそ素晴らしい」と述べていた。しかしどうして、用紙枚数の少ないレポートができるとどうしても不安に襲われる。もっといろいろ書くべきなのではと何度も見返してしまう。

 

 

    はてなブログの書き始めはこんな風になっている。

f:id:prooooove:20170506234519p:image

    キャンバスのように真っ白である。当然ながら書き出しのヒントも何も与えられない。「何か書こう!」「これは書いたほうがいい!」と思いたっても最初に現れるのはいつもこの白い画面で、途端に怯えてしまう。こんな真っ白けで何も無い場所に思ったことを書ききれるだろうかと不安になる。ナメクジに塩、空白恐怖症に白いキャンバスといった感じだ。

 

 

 

    近頃フォローしている人を見直して気づいたのだが、どうも私のフォローしている人にはクリエイターな人が多い。私のように文を書いている人もいれば、イラストや音楽、写真に動画、はてはダンスや演劇など、名のつく創作活動に1人はいるんじゃないかと思うほどだ。

    どんな創作であれ最初は全く何も無いところからのスタートだ。白いキャンバスを前にさあどう色を塗るかあれこれ悩んで筆を動かすと、だいたい作品は3つのパターンに分かれる。思い描いたものに近い彩色になるか、塗りたくった結果くすんだ色になってしまうか、諦めて筆を折るか。まぁだいたい思い通りの彩色にはならない。 

    私はだいたいキャンバスを真っ黒にしてしまう。空白恐怖症に駆られてあの色もこの色もと重ねてしまう。結局嫌になって書いてたものをそのまま削除してしまうか、諦めてそのまま公開しあとで後悔する(駄洒落じゃなく)。

 

 

    真っ白なキャンバスに素敵な彩りを施すのがいかに難しいかをよく知っているから、同年代(フォローしている人の多くは自分の±5歳くらい)の人がそうした創作活動にいそしみ作品を作り出している姿を本当に尊敬する。もっとも私のこれは創作もなにもツイッターの延長のようなものなので、同じ土俵にすら立てていないのだが。

    私も作曲やら写真やらいろいろ手を出したが結局続かなくてやめてしまった。化学に心血を注ぐ人生にしようと、大学生の始め凡庸にぼんやりと決意した頃もあったが、あるきっかけからささやかでも生きた足跡を残したいと思い立ち、それでこうして開けっぴろげにやっている。実はわりと大きな決意だったりするので、空白恐怖症などと言っていられないのだ。

    いくつかの小さな作品(?)を公開しているが、今は日記程度にしか思えない。いつかきたるそのときに見返したとき、1つ1つはドットにしか見えなかった種々の作品がモザイクアートのようにキャンバス全体を彩り、私の人生の足跡を描いていたなら。それを楽しみに今日もキャンバスと戦う。