ちょっと長めのツイート

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JKのシャツを脱がせたかった

 

 

    その3年間で、一度もJKの制服に手をかけることができなかった。そして今もなお、何の因果か互いにとって外しやすくなっている逆向きのボタンを、外したことも外されたこともないままでいる。

 

 

    男子校に進んだ友人に「何のために開成落ちたんだよ!?」と叱責を受ける。もちろん例年より簡単だと言われたその年の数学で惨敗した数弱の極みが原因なのだが、結局共学に進んだ私を冗談めかして叱る様子は面白かった。そうやって面白がるから進歩しないとわかっていながら。

    共学で恋愛を謳歌した別の友人からは「何のために共学に行ったの!?」と至極真っ当な(?)叱責を受けた。友人の恋愛話は確かに素敵なもので、自分と友人に何の違いがあったのだろうと聞くたびに考えてしまうが、恋愛第一の友人とひねくれて非リアをステータスにしていた自分との間にむしろ共通点があろうかと悲しくなるのがオチだ。

 

 

    もう二度とJKの制服に手をかけるチャンスは巡ってこないらしい。ReLIFEするか、あるいはキングオブコメディするしか方法が残っていない辛い現状だ。

    もちろん本気でそんなこと考えてはいないし、JKとセックスしてえとかそんな野蛮なことを言いたいわけでもない。「JKのシャツを脱がせる」という高校生にしか得られない淫美な経験を、高校生のときに得られなかったことを嘆いているのだ。背徳感に襲われて胸を苦しめながらも欲望に負けてボタンを外していく、そんな経験をしたかった。それを振り返って青さ若さと笑う経験豊富な大人になりたかった。それがどうして、今もなお童貞を守り抜いている。

 

 

    「一度ヤッてしまうとたいしたことない」とまるでドラッグの誘い文句のように誰かに言われた。そのとき私はどんな顔をしただろう。サンタさんの正体を知ってしまった子どものような心持ちだった気がする。

    つまるところこの歳にもなっていまだに恋やセックスに夢を見すぎている。そう気づくのが遅すぎてずっと童貞を引きずっている。大人になれていない、いつまでも高校生を引きずっているという自覚はしているが、普段のツイートはあのときとなんら変わらないオタク臭さで、体中に染みついた臭いは一向に取れる気配もない。

     恋がしてえ。いつかにそう書いた。立て続けに3組のカップルの仲睦まじい姿を見ればそう思うのは自然だと思うんだが、ともすれば留まるところを知らないリビドーに無意識に書かされたのかもしれないという不安に襲われる。恋がしたいのか、それとも。