ちょっと長めのツイート

お気持ちを配信しています

空白恐怖症に白いキャンバス

 

 

    昔から空白恐怖症のきらいがある。

 

 

    読書感想文は指定字数ギリギリに収まるようにいろいろと言葉や表現を変えた。50字以内での要約問題でも45字は書かなきゃいけないという自分ルールに勝手に縛られていた。とにかく空白は減点対象、悪しきモノだと思いこんでいた少年時代だった。

    その「悪習」は今にも響いている。教授はレポートについて説明する際、「簡潔でありながら内容十分な文こそ素晴らしい」と述べていた。しかしどうして、用紙枚数の少ないレポートができるとどうしても不安に襲われる。もっといろいろ書くべきなのではと何度も見返してしまう。

 

 

    はてなブログの書き始めはこんな風になっている。

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    キャンバスのように真っ白である。当然ながら書き出しのヒントも何も与えられない。「何か書こう!」「これは書いたほうがいい!」と思いたっても最初に現れるのはいつもこの白い画面で、途端に怯えてしまう。こんな真っ白けで何も無い場所に思ったことを書ききれるだろうかと不安になる。ナメクジに塩、空白恐怖症に白いキャンバスといった感じだ。

 

 

 

    近頃フォローしている人を見直して気づいたのだが、どうも私のフォローしている人にはクリエイターな人が多い。私のように文を書いている人もいれば、イラストや音楽、写真に動画、はてはダンスや演劇など、名のつく創作活動に1人はいるんじゃないかと思うほどだ。

    どんな創作であれ最初は全く何も無いところからのスタートだ。白いキャンバスを前にさあどう色を塗るかあれこれ悩んで筆を動かすと、だいたい作品は3つのパターンに分かれる。思い描いたものに近い彩色になるか、塗りたくった結果くすんだ色になってしまうか、諦めて筆を折るか。まぁだいたい思い通りの彩色にはならない。 

    私はだいたいキャンバスを真っ黒にしてしまう。空白恐怖症に駆られてあの色もこの色もと重ねてしまう。結局嫌になって書いてたものをそのまま削除してしまうか、諦めてそのまま公開しあとで後悔する(駄洒落じゃなく)。

 

 

    真っ白なキャンバスに素敵な彩りを施すのがいかに難しいかをよく知っているから、同年代(フォローしている人の多くは自分の±5歳くらい)の人がそうした創作活動にいそしみ作品を作り出している姿を本当に尊敬する。もっとも私のこれは創作もなにもツイッターの延長のようなものなので、同じ土俵にすら立てていないのだが。

    私も作曲やら写真やらいろいろ手を出したが結局続かなくてやめてしまった。化学に心血を注ぐ人生にしようと、大学生の始め凡庸にぼんやりと決意した頃もあったが、あるきっかけからささやかでも生きた足跡を残したいと思い立ち、それでこうして開けっぴろげにやっている。実はわりと大きな決意だったりするので、空白恐怖症などと言っていられないのだ。

    いくつかの小さな作品(?)を公開しているが、今は日記程度にしか思えない。いつかきたるそのときに見返したとき、1つ1つはドットにしか見えなかった種々の作品がモザイクアートのようにキャンバス全体を彩り、私の人生の足跡を描いていたなら。それを楽しみに今日もキャンバスと戦う。

   

    

JKのシャツを脱がせたかった

 

 

    その3年間で、一度もJKの制服に手をかけることができなかった。そして今もなお、何の因果か互いにとって外しやすくなっている逆向きのボタンを、外したことも外されたこともないままでいる。

 

 

    男子校に進んだ友人に「何のために開成落ちたんだよ!?」と叱責を受ける。もちろん例年より簡単だと言われたその年の数学で惨敗した数弱の極みが原因なのだが、結局共学に進んだ私を冗談めかして叱る様子は面白かった。そうやって面白がるから進歩しないとわかっていながら。

    共学で恋愛を謳歌した別の友人からは「何のために共学に行ったの!?」と至極真っ当な(?)叱責を受けた。友人の恋愛話は確かに素敵なもので、自分と友人に何の違いがあったのだろうと聞くたびに考えてしまうが、恋愛第一の友人とひねくれて非リアをステータスにしていた自分との間にむしろ共通点があろうかと悲しくなるのがオチだ。

 

 

    もう二度とJKの制服に手をかけるチャンスは巡ってこないらしい。ReLIFEするか、あるいはキングオブコメディするしか方法が残っていない辛い現状だ。

    もちろん本気でそんなこと考えてはいないし、JKとセックスしてえとかそんな野蛮なことを言いたいわけでもない。「JKのシャツを脱がせる」という高校生にしか得られない淫美な経験を、高校生のときに得られなかったことを嘆いているのだ。背徳感に襲われて胸を苦しめながらも欲望に負けてボタンを外していく、そんな経験をしたかった。それを振り返って青さ若さと笑う経験豊富な大人になりたかった。それがどうして、今もなお童貞を守り抜いている。

 

 

    「一度ヤッてしまうとたいしたことない」とまるでドラッグの誘い文句のように誰かに言われた。そのとき私はどんな顔をしただろう。サンタさんの正体を知ってしまった子どものような心持ちだった気がする。

    つまるところこの歳にもなっていまだに恋やセックスに夢を見すぎている。そう気づくのが遅すぎてずっと童貞を引きずっている。大人になれていない、いつまでも高校生を引きずっているという自覚はしているが、普段のツイートはあのときとなんら変わらないオタク臭さで、体中に染みついた臭いは一向に取れる気配もない。

     恋がしてえ。いつかにそう書いた。立て続けに3組のカップルの仲睦まじい姿を見ればそう思うのは自然だと思うんだが、ともすれば留まるところを知らないリビドーに無意識に書かされたのかもしれないという不安に襲われる。恋がしたいのか、それとも。

 

 

    

 

     

 

  

「理想」を見せられて

 

 

    このひと月で、三組のカップルと出会った。

 

    付き合ってる期間も知り合い方もまるで違う3組なので、三組三葉の仲睦まじい姿があった。私がまだ誰とも築けていない、二人だけに許された距離感にただただ憧れた。

 

    非リアをステータスとし、その自虐ネタで星が飛んでくることを良しとするTwitter人生だった。まるで、非リアであることに命をはっているのかと思われそうなくらいに。
    今でも彼女が欲しいかと言われると怪しい。彼女なんてめんどくさいだけ、とはさすがに思わなくなったが、率先して作りたいと思っていないあたりは進歩がないなぁと情けなく思う。

 

    よく彼氏/彼女がいる人とサシで話す。そういう機会が本当に多くて、その経験から私恋愛知ってますからと錯覚しているような男が私だ。本当はピーマンのように中身がない、申し訳程度の中綿があるだけだ。
    私のことはさておき、そういった場でその人に彼氏/彼女とどうですかと聞くとどうにも愚痴ばかりなのである。延々と惚気を聞くよりは聞きがいがあるが、お独り様のピーマンとしては、今後に活かせそうな経験談として惚気も聞きたいんだけどなあと思うのである。

 

    しかし三組のカップルをじっと見ていると、その一挙手一投足が私のずっと憧れ続けている「理想」であることに気付かされる。ずっと聞きたかった惚気は眼前で堂々と繰り広げられていた。
    パーソナルスペースをものともしない自然体なボディタッチ、目と目で通じる何か、額が触れ合いそうな顔の距離感。こうも鮮やかに形づくられる「理想」を前に、昔なら心の奥でそっと中指を立てていただろうが、今はただ赤子のように親指くわえてないものねだりである。
    惚気話をしないのは独り身への遠慮かと思っていたが、こうして視覚的に惚気を見せつけられると、幸せを語るのに言葉は無力だなと思い知らされる。

 

    映画好きの酔いどれのおっさんに「お前はスプラッタばっか観てないで恋愛モノも観ろ」と説教された。
    それはその通りなのだが、これだけ素敵なノンフィクションを見ているのだから、恋愛映画を見る必要を感じなくなってしまう。
    恋がしてえ。私もリアルなノンフィクションを演出してえ。そう思うほどに、このひと月はいい恋愛映画をたくさん見たような満腹感がある。もし彼女ができたら私はその幸せを言葉にできるだろうか。きっと私はオタクだから「優勝!」くらいしか言えないだろう。

 

 

※2017/03/13のnoteを一部修正

 

 

 

お金を使うということ

● 散財は気分転換

 「服買いに行きたいからつきあってくれ」

    女子高生のような誘い文句だ。残念ながら女子高生でもなければ女子でもないが。何でよりにもよって私に服の付き合いを頼むんだとはてなを浮かべながらも、どうせ暇なので行くことにした。

 

    私と高校時代から付き合いのある人はお察しかもしれないが、私はいまだに当時の服を着ている。これを「物持ちがいい」といえば聞こえはいいが、要は服に頓着がないだけである。

    そういったわけで私は滅多に服を買わない。大学生になってから買ってないような気もする。「服を買う」という経験が年齢に伴っていないので、内心友人が服を買うところを見るのが楽しみでもあった。

 

    私の期待通り、友人はすぱすぱと服を買っていった。その日だけで数着、1-2万ほどのお金が飛んでいっていたと思う。なるほど人は服をこう買うのか、服を買うとこんなに金が飛ぶのかと感動の連続であった。

    神も憐れむ優柔不断なので、二十歳になってもなお1000円単位の買い物をするときはアホほど悩む。100円以上の駄菓子を買うか悩む小学生の気持ちと大体同じだと思ってくれればいい。そんな私なので飄々と諭吉を殺していく友人をオトナに感じた。それとも諭吉に恨みでもあるのだろうか?やっぱり早稲田生だし?

    「よくためらいもせずに金を使えるな」と私が褒める気持ちでそう伝えると「散財は気分転換っしょ、持ってるだけじゃ意味ないし」と笑っていた。

 ● 貯蓄性癖

    「気分転換に散財する」という価値観を覚えたのがそもそも最近だ。それまでの私はただただ貯めることに命を燃やしていた。預金総額の数字が大きくなることに快感を覚える性癖を持て余して、その使い道はさっぱり考えていなかった。

 

    教育とは偉大で、この途方もない「無欲」と、そして貯蓄に命を燃やす性癖が父親に端を発していることは明らかだった。父もまた重度の「無欲」で、その上狂気の「捨てられない」マンである。20代の頃海の監視員をやっていたときにもらったという、「監視員」とデカデカ印字されたTシャツが袋未開封のまま2着出てきたときはさすがに引いた。時代錯誤な服、17年走り回したローラより傷だらけの車、壊れかけというか完全に壊れたラジカセ。ため息が出る。ともかくこうして物がロマンス並にありあまるので、父には新しく物を買おうという気がさらさらない。なのでお金が減らない。

    それでもどうしても物を買わなくてはならないときもある。そうなると父は血眼になって密林を歩き回る。父は送料と手数料を親のかたきのように憎んでいるので絶対に払おうとしない。無料のところを見つけるまでは年単位で待つ。そうして小銭をちりつも式に貯めていく。

 

    貯蓄性癖の極みのような父だが、彼には唯一にして莫大に金を使う趣味(?)がある。平たく言えば投資だ。我が家には私学に通う金食い虫が2人もいる。なるほど金が必要になるわけだ。申し訳なさで心が押し潰れる。

    金食い虫は父のすねをかじりつくし骨で出汁まで取ろうとしてる最中である。卒業はまだ遠い。変な父だが感謝を忘れてはならない。

 

    それはそれとして、この「無欲」と「貯蓄性癖」を過剰なまでに身に染み付けさせたのは、私としてもいささか不満である。 だが父のせいにするのもよくない。勝手に覚えたのは私だし、父のマリオネットでもないんだから、いいかげん操る糸を断ち切って自分のために踊らなくてはならない。

● 贅沢な恐怖

    冒頭の友人は常々「金がない」という。しかしそんな彼は極度のワーホリで、扶養が外れそうだからシフトを入れらんないと嘆き始めた。申し訳ないが、金がないのは働かない上に飲み会を重ねて散財するからだとずっと思っていた。だから本当に驚いたし、ようやく怖くなった。私がきちんと働きだしてきちんと給料を貰い始めたら、莫大な金が私の手元で行き場を失うんじゃないか?何のために今必死にバイトしてお金を手に入れたんだ?

   

    そんな贅沢な恐怖に怯えながら寝癖と赤羽で飲んでいる最中、派手にトマトジュースをこぼした。よりにもよって白いシャツの上にである。

    ……とりいそぎ買わなくてはならないものができた。消極的な購買欲だが、こうして少しずつ「お金を使う」という健常な精神を身につけていこうと思う。

 

 

 

    

 

    

    

    

 

 

 

 

 

 

10年バズーカ

 

 

汐留で試写会を終えた私は腹が減っていた。

 

 

高田馬場を根城にするクソ大学生なので新橋にはとんと用がない。たいていの店は馬場にあるし、そもそも新橋は定期に通っていない。それもあって新橋に立ち入らない私はいまだに小さいころからのイメージを保持しつづけている。つまり、「サラリーマンの町」というイメージだ。あ、あと「シン→ バッシ↑」か。

 

 

そんなだから駅周りも東京や霞ヶ関のようにビルしかないのだと思っていた。しかし人は成長するもので、酔いどれのおじさんにあちこち連れ回されたおかげでイメージは刷新されていき、東京や霞ヶ関にも飯の美味い店が多いことを知った。そして例に漏れず、新橋も飯屋で溢れていた。

 

 

神も憐れむ優柔不断なので、選択肢の多さは入店決定までにかかる時間に比例するアホな男だ。2-30分考えぬいて結果として入ったのはパンチョというナポリタンの店。昔行きそこねていたのでちょうどよかった。

まるで当然のように店内にはスーツの男性しかいない。腹回りが私よりひと回りもふた回りも膨れた人ばかりだ。出てきたナポリタンは私が家でレトルトで作るヤツの何倍も油からめからめで、たまらなく美味い。美味しいものは糖と脂肪で出来てるのか、いやもう糖と脂肪が美味しいだけなんじゃないか?こんなもんをこんな時間(22:00過ぎである)に食べる生活してたらそりゃあんな風になるやななどと思いながら麺をフォークに巻き付ける。あと店員がめっちゃ可愛かったけどそれは別の話。

 

 

結局飯屋の多さには驚かされたけどそれは自分のイメージが悪いだけで、サラリーマンが多いなら自然と飯屋が増えるのは道理。そして飯屋と同じくらいバーやキャバも多い。キャッチもたくさんいた。

なんだか10年後の高田馬場って感じだ。もちろん10年後も高田馬場は若さとゲロで溢れているんだろうけど、高田馬場にいる若さは10年歳を経て、新橋の街形成の一端になるんだろう。そう思うとまだ火曜だってのに足元がおぼつかないサラリーマンを見たのも頷ける。

 

 

新橋はそれでも宵締めの活気で溢れていたが、地元の駅で見かけたサラリーマンたちは皆生気を削がれたかのようだった。夜を安酒で流し、長い時間電車に揺られて帰宅して、少し寝ることでなけなしの体力チャージをする。帰宅が遅くなったときの私や友達と何も変わらない。変わろう!と思い立たないと、結局10年経ってもそんなに生き方は変えられないんだろうなとふと思う。思い立つ日はまだ遠そうだが。

 

 

 

 

 

私はラ・ラ・ランドのように踊れない

 

 

「できればずっと音楽を聴いていたい」

その人はそう言っていた。

 

 

話の前後をろくに覚えてないからどういう経緯でこの発言が出たのか定かでないが、この一文だけが今も頭に残っている。

ずっと音楽を聴いていたい。おはようからおやすみまで、場面場面に合わせた音楽をBGMのように絶え間なく流しながら一分一秒を生きたい。確かそんなことを言ってたような気がする(たぶん拡大解釈している)。

思えばいつもイヤホンをかけているような人だ。人と会話するときなどは当然外していたが、1人のときは必ず何かしら聴いていた。あの言葉もあながち嘘ではないというか、結構本気で言っていたんだと思う。

 

 

ラ・ラ・ランドが流行し、当然のように私も観にいった。内容といえばミアとセバスチャンという1組の男女の恋愛模様を描いただけだが、ときおり入ってくるミュージカルパートが色音ともに鮮やかで素敵だった。ミュージカル映画は高校生のときに観たレ・ミゼラブル以来だったが、ラ・ラ・ランドは全編ミュージカルパートではなく、台詞パートも偏在している。そういった点ではまさしく日常に溶け込む音楽、冒頭の言葉のような「理想の日常」であった。冒頭5分、渋滞に苛立つ人たちが突如流れだす「Another Day of Sun」とともに歌い踊りだすシーンから心を掴まれたのは私だけではないと思う。

 

 

そんな「理想の日常」が妄想にすぎないこともまた重々理解している。それを強く思い知らされることとなったのが、あろうことかラ・ラ・ランドの直後に観たダンサー・イン・ザ・ダークだ。ミュージカルに憧れる女主人公セルマ、そんな彼女を襲う過酷な試練の連続。現実はかくも辛く厳しいのかと目を覆いたくなる。

 

 

ラ・ラ・ランドにおいて、台詞パートとミュージカルパートは地続きで、各パートが交互にフェードインしフェードアウトする。だからこそ普段ミュージカルを観ない私でも心地よく観ることができた。全てが現実のような、歌い踊ることも日常の一部になっている街なのかなと錯覚してしまうほどに。

一方ダンサー・イン・ザ・ダークにおいて、ミュージカルパートは主人公セルマの妄想として描かれており、そこには現実とのはっきりとした境界線がある。ふと目を覚ますと踊り子たちはいない、音楽はかかっていない。再び現実に呼び戻されたときの絶望は、夢から目覚めたときのそれに似ている。

 

 

例えば今この文を通学途中の山手線に揺られながら書いているわけだが、後ろにどんな音楽を流せばいいだろう。いきものがかりの『帰りたくなったよ』か、あるいはあったかハイムが待っているあのCMソングあたりだろうか。

欲望に忠実にBGMを選曲することもいいとは思うがそれで家に帰れるのはラ・ラ・ランドだけで、結局私は高田馬場で降りなくてはならない。私を待っているのはあったかハイムではなく灰色をした理工キャンパスだ。

 「できればずっと音楽を聴いていたい」全くその通りだ。『恋』を聞きながら恋人と踊りたいし、『スパークル』をバックに恋人と流星を眺めたい(死にたくはないが)。しかし現実、レポートは減らないし恋人は横にいない。

 

 

現実と妄想には必ず線引きがある。音楽は妄想を肥大化こそすれ、その境界線をぼかしたり消し去ったりはできない。

私はラ・ラ・ランドのようには踊れない。その音にセルマのように夢を見るだけだ。音楽を聴きながら辛い現実を受け入れたら、レポートに追われ恋人のいない日々が妄想に重なってきたなら、現実も妄想さえもバッドエンドに突っ走ってしまいそうで、だから私は現実は現実としてきちんと受け入れることにしている。

 

 

とはいえ妄想が嫌いなわけではない。ことそこに音楽があればなおのこと楽しい。

ホームが2階にある高田馬場駅はどこの出口に向かうにしてもまず階段を降りなくてはならない。私は頭の中にMUSIC STATIONのあの曲を流しながら、デビュー5年目の中堅ミュージシャンのように手馴れた感じで階段を降りていく。