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The greatest 停滞 (2023年を振り返って)

 

◆瞬間最大風速を日々更新し続けた2023年。今年は、間違いなく間違いなく、人生で一番幸せな一年だった」去年を、やすやすと飛び越えていった。

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    しかも今日で生まれて10000日らしい。随分と長く生きたように思える。

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    こんなに幸せな日だというのだが、しかし同時に今年は、大きな凡庸をも生み出した。

 

◆「本当につまらなくなった」「キレがなくなった」と方々から言われるようになった。おもしろかったんだ昔の私、という一抹の安心こそあれ、そう言われても仕方ないと最近はひしひし感じている。現に今も、白地のこの記事に何を書こうか考えあぐねあぐね、思ったように言葉が出ない。ひと月に2本、年に24本も記事を書いていたあの頃が信じられない。

 この1年、何もなかったわけじゃない。ただ、話の肴になるほどバリエーションに富んでいない。話のカテゴリとして「最高ハッピーYeah~~~!!!」があったとしたら、そこに全部入ってしまうようなものばかりであったので、一言「最高ハッピーYeah~~~!!!」と放てばもう事足りてしまうのだ(これは私に限らず、周りの話も含めだ)。

 

◆そうして生産のリソースを失うと、当然出力が減る。日々のツイートも、このブログの記事も、格段に数が減った。形として残そうと思えるほどコンテンツたりえる要素に欠けると、自省し、自制してしまう。翻って、Twitter崩壊からの避難が目的だったはずのInstagramでの更新が増えているのだ。周りと大差ない、一定光量の煌めきだけを見せて、一昔前の私なら確かに鼻で笑うだろう。

 今年も間違いなく人生で一番幸せな一年だったけど、今年は間違いなく人生で一番何も生まず、停滞した一年だった。何かを成し得たと思えたことがほとんどないままだった。

 

◆別にそれでいいはずなのだ。やるべきことをやっていれば一日が終わるような毎日が続いたとしても。それでもまだ、何かをしたいと思えるような、胸につかえるわずかな心残り。二年前に問いかけられた「あんたとデカいことがしたい」、そう大望でなくとも、些細なことであっても、もうちょっと、何かを。 

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◆こうして今年の停滞を省みると、明確な目標も無しに生きていたから何も成し得なかったのかなと感じる節がある。そして、来年の目標を三つ打ち立てた。一つは、日々きちんと続けていれば達成できるもの。一つは、怠惰が重なり長年放置していたもの。そしてもう一つは、まあできればいいなくらいのもの。

 恥ずかしいので明記はしないけれど(そうして年末には忘れそうなんだけど)、先の二つは達成したいなと思っている。一つ目は、それでブログに載せるかというと怪しいけれど、二つ目、三つ目は達成できたらそれなりに面白いだろうな。

 一年、ぼんやり生きていたのにこんなに楽しかったのはあまりにも幸せ極まりないことだった。それでそのままでもよかった。けれど、主格を失っていく焦りは確かにあった。来年は、小さくとも大きな一歩を踏み出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

27歳も、子どもみたいに

 

◆老いて体力を失っていくという、10, 20歳離れた先達からの金言を聞きあきるほど受け取りながら、今年も1つ歳を重ねてしまった。確かにみるみる体は衰えているが、よもや精神的にも老いるとは聞いてはいなかった。

 

◆4月頃から仕事が指数関数的に忙しくなり、毎月残業規制目いっぱい、夜勤や休日出勤もあったりして、いつを生きているのかわからない不毛のスケジュール。娯楽を楽しむ心の余裕も失われて、近頃では漫画もろくに読めていない。

    それでも心躍ることは多かった。今年に入って同期たちの入籍の嵐。15歳の幼きを知っている彼ら彼女らが、大人の顔をして誇らしげにリングを輝かせる様は、とても喜ばしく、どこか気恥しさもあった。

    おめでとう! 本当に嬉しいよ。男子三日会わざれば、とは言うけど、十余年も経てば男も女も関係ないね。

 

◆先の記事の通り、私も彼女と付き合って1年が経った。彼女のこともまた、15歳の頃から知っているし、それは私を見る彼女も然りだ。

    周りの友人たちはやけに大人びて見えるけれど、翻って私たちの過ごした日々は、高校生だったあの頃とあまり大きく変わらないように思える。車を回し、お酒を飲むようになったけれど、あの頃より少し楽しめるものが増えただけで、それらを楽しむ心持ちにはあまり変わりがない。

    老いたはずの体も心も、彼女といるとたちまちあの頃に若返るのだから、こんなに愛おしい時間は無い。

 

◆不可逆だったはずの時間が、ある一時だけリスポーンする。この感覚を知って、ようやく大人になったと言えるのだろうか。

    ここ数年は歳をとるのも見栄えがしないというか、30歳になったら何か思うところもあるかもだけれど、26歳が27歳になってなんだという? 

    ただ、その感覚を知るためにある程度の加齢が必要だというなら、なるほど、歳をとることも、過去を懐かしみ、あの頃と同じように振る舞うのも、悪くないのかもしれない。

 

◆8月5日の夜、山梨は石和温泉駅前で食事を終えて外に出ると、夜空の遠くにぱぁんと何かが爆ぜる音がした。どちらともなく私も彼女も、音の鳴るほうへ走っていった。

    開催を知らなかった花火大会にたまたま立ち会えた。ローソンの駐車場には近くの旅館からわらわらとお客さんが集まって、みんなで一緒に同じ方向を、闇に煌々と輝く花火を見あげた。

「花火に向かって走るなんて、子どもみたいだね」

    あと数時間でまた1つ歳をとる私に向かって、彼女が笑ってそう言った(マジで言った)。そうか、いいんだ別に、子どもみたいでも。楽しいんだから。

    くだらない毎日でも些細なことで楽しめるように、これからも童心をキラめかせていこう、あの花火のように。

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眩いセーブポイントを目指して

 

◆ふざけた蒸し暑さがひとときごと体力と気力を奪っていく。日差しは本当に肌を焼き尽くしているようで。それでも夏が好きだと言い続ける、意地を張ってでも。まあ、冬よかよっぽどマシ、寒い方が嫌い。

 

◆ちょっと早いんですが、彼女と付き合って一年が経ちました。

    これから、夏が来るたびにこういう思い起こしができるという喜びに浸っています。まもなく誕生日も迎えることもあるし(それはそこまで感慨もないけれど)。

    関係が始まってからは築浅だとしても、出会ってからの時間は相当に長いものなので、それなりに相手のことを知っているつもりでいたのですが、ああやはりそうではないなんだなと知らされる一年でした。それはきっと、これからも。

 

◆二人で行った場所・風景・食事、そして彼女の姿が、写真フォルダに溢れかえっている。それを定期的に見返す自分。撮りすぎた写真の数々が、様変わりして見事凡庸になった自分を証明している。

「つまらなくなった」と痛烈な祝辞を貰うことが増えた。幸福を享受してばかりの体たらくになったことは間違いない。こんな風になってしまうなんて、とは思うが、その一方で、ちゃんとこうなれるんだ、とも思う。

   

◆近頃、ついに同期の結婚式へのお誘いもいただくようになった。いわゆる”アガリ”だ、本当におめでとう。そこはゴールではないにしても、いくつかあるセーブポイントのうちでは、最もわかりやすく、そして眩いものだろう。

    きっと私は別のセーブポイントの方が合っているんだと思って歩いていた。しかし、もしかしたら、輝かしいそちらへ行けるのかもしれない。三十代へ着々と体は老いていく中、舗装されていない泥濘を踏みしめてひいこらと、少しずつ軌道修正を図っている。

 

◆私のゴールはどこにあるのだろう。この歳になっても、自分の選択に自信を持つことがずっと難しいままだ。

    私の2年目、もとい12年目が始まる。これまでの私の選択に後悔を産まないよう、そしてこれからの選択に自信を持てるよう、少しずつ変わっていきたい。そんな変化の夏。

    

    

オトナブルー

 

◆3度目の春が来る。住む場所が変わり、新天地で初めての桜を見た。前宅では結局2回しか見れなかったけど、この桜はあと何回見れるのかな。

 

◆旧知のオタクとの2年続いたルームシェアを解消し、先月頭より完全一人暮らしを始めた。家に帰れば友達がいる、という生活を離れてから2ヶ月ほど経過して、最近「大人ぶる」仕草や感情が自分の中に芽生えていることに気づき、悶々としている。

 

◆数年前まで、ぽつりぽつりと遠くから聞こえていた結婚の話が、一等親くらい近い距離の友達からももたらされるようになった。

 もう27歳になるもんな、今年の年末には、出生10000日になるらしい、節目も節目だ。母は確か、この年くらいに結婚して、28歳で私を産んでいたはず。もうそんな歳になってしまったんだな。

 ちょっと前に、子どもがいないと自分の「老い」を実感できなくなる、みたいなツイートを見た。すくすくと育つ子どもを見て、親は相対的に自分の加齢を感じるらしい。それがないと、大人は、心だけの若さを引きずってしまう、とか。友人たちがまた1つコマを進め、在りし日の母がもう子どもを産んだという事実を鑑みるに、私も少し大人びないといけないのかな、なんて考えてしまう。

 

◆仕事にしてもそうだ。来週から2世代目の後輩ができることになる。もう「最若手ゾーン」からは出てしまうんだな。何をやっても許される免罪符は、無くなってしまうんだな、やだな~。

 仕事もそうだし、この間の引越しの手続きをしているときにも思ったけど、「自分はちゃんと社会生活をできる人間ですよ」と示しを見せないといけない機会がこの世には多すぎる。別に失敗したとて人生が終わるわけじゃないとはわかっていても、うっすらとした緊張、ぼんやり感じる視線が、いらんプレッシャーを与えてくる。

 こういうことの積み重ねから少しずつ経験を積んで「大人」ができあがる、今まさにその只中にいるんだろうな。中学・高校時分からあんなに楽しくわちゃわちゃしていた友人たちも、なんだかんだこういうことをちゃんとやってるんだよな。すごいな、みんな。がんばってるじゃん、私。

 

◆仕事や公的手続、結婚・出産、そうした「歳をとったから発生するタスク」をこなしたり聞いたりして、心は子どものままなのに体裁を気にして大人ぶっている。その後、1人には広すぎるこの家に帰って1人ぼんやりしていると、嫌でも、もう子どもではないんだと気づかされて叫びそうになる。もっと子どもでいたいけど、でも、大人は大人で楽しそうなところもあるんだよな。過渡期、怖え~~~。

 でも、この過渡期も、この年代の3, 4年しかない貴重な時期なのかもしれない。第二次思春期みたいなものなのかも。だとしたら、この悶々も楽しんだほうがお得なはずだ。小さい子どもが大人ぶるのとは違う、この歳なりの大人のふり。本当はみんなもやっているんでしょう。それを、しゃらくさいな~と思って笑いあいたいよ。

 もう少しだけ、心は子どものままでいようかな。コマを進めるのは、まだもうちょっと後でもいい。そんな3度目の春でした。

 

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転転転世

 

◆これは何も無い部屋にキャンプ椅子と「酔鯨」だけがある新居。

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◆諸々があり、転居した。

   入社を機に実家を飛び出し、中学からの友人である旧知のオタクとルームシェアを始めた二年前。マジでこのまま人生何もないまま、オタク同士で十年二十年過ごしていくんだろうなとぼんやり考えていたのに、意外と早く別れは来てしまった。

    ちょうど旧宅の契約満期だったのに合わせてオタクハウスを飛び出し、今度は関東有数のオシャレタウンの片隅に居を構えた。街がずっとキラキラしていて怖い。まだこの街にこれから住むという覚悟を持ちきれていない。

 

◆旧宅と新居がそこそこ近い距離だったので、ハイエースをレンタルして自力で転居した。せいやそいやと積んでみたことろ、私の荷物はちょうどハイエース一台に収まりきってしまい、2年過ごしてこれっぽっちかとちょっと悲しくなったり。

    新居での荷降ろしには遠くから両親が来てくれて一緒に手伝ってもらった。生活必需の日用品を何一つ買い揃えてなかったり、高い金を出して買った洗濯機がドアの間口よりデカくて入らず、目の前で返品になったりと、ダメ息子の計画性の無さをまざまざ見せつけてしまい、しっかりと呆れと心配とをいただいた。ほんともうさあ……。

 

◆右往左往四苦八苦しながらなんとか転居を終え、両親も見送り一息ついたので、これを書いている。

    ついにこれから、本当の「一人暮らし」が始まる。ちゃんと自炊するぞとか、ちょっとは運動しないとなとか、いい加減資格も取らないとなとか、新卒さながらの希望あふれた気持ちでいる。いるけれど、現実はもう三年目だし、仕事はめちゃくちゃ忙しいし、どうせ何もなしえずになあなあに生きてしまうんだろうなとも思っている。

    どの道、生き方や生活を変えるには何より自分の強い意志が重要なのだろう。転居はきっかけでしかない。変わりたいと思うなら、変えてやると覚悟するしかない。

 

◆明日は冷蔵庫や電子レンジが届く。ネット回線も整う。一通りのインフラ整備が終わる。いよいよ私だけの「私の城」ができあがる。

    やってやるぞ、丁寧な生活。誰か来ても恥ずかしくない家を作り、人生をやる。転居初日くらいきちんと覚悟を決めよう。がんばるぞ。

    そんなわけで、転居記でした。皆様、ぜひ遊びにお越しください。

    

    

 

    

 

 

ほんのわずかなきっかけひとつ(2022年を振り返って)

 

不定期に続けているこのブログも6年目になった。始めた頃は大学生だった私も、社会人2年目、すっかり仕事にもなれてしまった。

 昨年の年末お気持ちを読み返してみると、それはつまらなそうな日々を送っていたようだった。今思い返してみても、去年、何をしていたのかよく覚えていない。無為に日々を過ごしていたことだけはわかる、何も覚えていないのだから。

 

 翻って今年は、というほど大きな出来事があったわけではないけれど。ただ1つの些細な変化が、劇的に人生を彩り豊かにした。あの月はどこで何をしたということを、年末になっても鮮明に思い出せるくらいに。

 

◆言葉にするとひどく恥ずかしいけれど、今年の下半期はずっと彼女のことばかりを考えていた。

    高校を卒業してからずっと、なんとか思い出さないようにしては、しかし年に1, 2度思い出してしまうタイミングがあって、そのたびに身悶えた。あの頃の夢か妄想のそれみたいなことが、日常になった。調子に乗って、浮かれてしまうのも仕方ないだろうと、自分で自分を許している。私の10年を知る友人たちからは「高校生みたいでおもしろいよ」と言われた。楽しんでもらえているなら結構。

 オクトーバーフェストやクリスマスなど、カップルらしいベタなことを一通りやることができた。ベタなこともベタにやると楽しい。そういうイベント類をやらないと、日々がただ「過ぎ去るもの」になってしまうという言葉を見て、なるほど今年は、きちんと未来に印象を残せた一年だったなと思う。

 

◆今年、Instagramを始めた。偶然始めただけで(Twitter消えないで)、使うことはないだろうなと思っていたけれど、付きあいはじめてから写真を撮る機会がぐんと増えたこともあり、投稿もそこそこの頻度で発生し、それなりに楽しめている。

 

 それでもやっぱりTwitterの方が好きだし、写真より言葉の方が好きだけれど、それぞれのサービスを上手く使い分けている人もいるし、投稿内容について「Instagram向き」「Twitter向き」というのもわかってきたする。依存先を増やすことは精神衛生的にも大切らしいし、写真も増えていく一方なので、今後ものんびり使っていきたい。

 

◆彼女ができたり、Instagramを始めたり、同世代が何年も前から当然のようにやっていることを今さら始めて今頃キャッキャ言っている幼い自分だけど、いろいろ始まった、始められたと感じられる一年でもあった。去年末の自分には想像しえないと思う。

 物事を変えてしまうのはほんのわずかなきっかけひとつだった。それも偶発的なものだったのか、あるいはいくらかの徳を積んでいたのかもしれないが。そういうチャンスは目には見えないけれど、発生確率をあげることが大事なのだろう。勝機を零すな、掴み取れ。

 来年も新鮮な一年になるといい。今年よりもずっと楽しい一年になるといい。毎年毎年、この時期になると来年への期待を口にはしているけれど、今年はより一層の想いがあるし、そうなるかもしれないという希望もある。

 間違いなく、人生で一番幸せな一年だった。来年も、随所でチャンスをものにして、小さく小さく変化していきたい。

 

 

 

愛している

 

◆あの高校にはクラス替えがない。3年間を同じクラスメイトと過ごす。各々、小中高どの時点から入学したかの差はあれど、私が所属したあのクラスは、初めて出会ってから今年で10年になる。

「十年ひと昔」というくらいで、26歳になった私たちは少しばかり大人びて、まもなくやってくる30歳の現実に怯えながらも、少しずつ今を受け入れ、前へと進んでいる。

 

◆高校のクラスの同窓会をここ5年ほぼ毎年開催している、半数以上が現地参加する、残念ながら行けないという人も含め、ほぼ全員と連絡がつく。

    なかなか珍しい、というより、かなり奇跡的なことだと思う。遠方に住んでいて久々に顔を合わせた人とも、あの頃と同じように笑いあい、語りあえる。とても素敵な人たちに囲まれて思春期を育ったんだなと、改めて痛感する。

 

◆結婚した、出産した、今こういう仕事をしている、こういう研究をしている。苦楽の多寡は人それぞれなれど、それぞれの人生を謳歌していた。

「君のブログ読んでるよ」と、何人かにも言ってもらえた。かなり私的なことばかり書き連ねてきたゆえ、小っ恥ずかしさももちろんあるけれど、なんだか私の人生を肯定されたようで、素直に嬉しかった。

 

◆近況報告でようやく、クラスメイトの皆に向けて言いたかったことを言うことができた。

    Twitterで発信していたこともあって、結構な人にすでに知られていた。知らなかった人にはとても驚かれたけれど、しかし心からの祝福をいただけた。

    同窓会のその場で上のエントリを読まれ、特に「10年前に出会って~」のくだりを目の前で復唱されて。幾分の照れもあったけれど、そのとき感じた思いの丈を書き残せていること、それを皆に知ってもらえていることは、感慨深いものだった。

 

◆焼酎のロックを5杯、ワインを2杯飲んで、いい感じに酔いが回っている中、同窓会参加者の中で唯一終電を逃し(バカか?)、池袋のシーシャバーで煙をくゆらせながらこれを書いている。

    私のTwitterのbioの「場所」の部分には「ぬるま湯」と書かれている。あの高校のあのクラスのことだ。ずっと居心地のいい過去に浸って、あのときが人生のピークだったと言うかのように、もはや余生を過ごすかのように、今を生きている。

    私と同じようにあのクラスの内々で人生をやっている人もいれば、あのクラスを過去とわりきって、新しい人生を進んでいる人もいる。それぞれの人生があり、そのどれもが美しかった。

 

◆あの「ぬるま湯」 を愛している。これからも愛し続ける。あの日あの時、彼らと出会えた奇跡に、彼女と出逢えた運命に、著しきれないほどの感謝を抱いて。私もまた次の人生に目を向けていく。

    こんなに直情的な文章は、あんなに心地いい酔いに溺れてしまったせいだと言い訳をして。池袋西口カラオケ館のネオンのぎらつきを横目に見ながら、ゆっくりと始発の電車を待つ。

 

    もう何時間もすれば朝日が登る。新しい1日がまたやってくる。