ちょっと長めのツイート

その程度に思って読んでってください

数cmの恍惚

 

ポッキーゲーム、したことありますか?

 

◆結果です。ご協力ありがとうございました。

 

Twitterで『響け! ユーフォニアム』の久石奏と月永求がポッキーゲームをしている絵が流れてきた。制服に身を包んだ彼らが、お互いに相手の手首を掴み、初々しく顔を赤らめたりして。

    ああ、高校生だあ~って思わず感動してしまった。ポッキーゲームって、そういうもんだよなあ。

 

◆私自身には、ポッキーゲームをした記憶はない。たぶん今だったら、相手が誰であろうとしれっとなしてしまうだろう。もちろん最後までいったりはしないけど、極めて冷静に。だってそれは所詮ゲームだから。みんなそれをわかってるから。それによって得られるはずだった『ドキドキ』とか(死語か?)は、もう感じないだろうな。

    恥と性欲が発散しきれていなかった青い高校生の頃なら、あるいは違ったんだろうか。いつからこんなつまらない男になった? 何が私をこんなにひねくらせた? 

 

◆相手が相手だったらまた変わるんだろうか。『超ッッッ』がつくほどの美人だったら、思い焦がれて夜も眠れないような相手だったら、あるいは話は変わってくるんだろう。

   しかし別の知見として『クラスメイト』という属性が興奮の素になりうるんだろうな、なんて。いつかのポエムにも似たようなことを書いたけど、何でもない人との特殊なシチュエーションには、言い表しがたい興奮がある。普段他愛もないことで笑いあう友人と、急に顔が接近する。もうあといくらで唇が接する。数cmの恍惚は、確かに愛おしいし、興奮する。

 

◆そういえばあの頃、同性同士でポッキーゲームをしているのを見たことはある。別に私がしていたわけでもないのに、妙に気分が昂揚した。

    大学生はすぐ酒の勢いでそういうことするからなあ。今だったらなんだ、お通しの揚げパスタでやったりするのか? 違うんだよなあ、そうじゃねえんだよなあ。情緒がない。

    日常に突如現れる特別、最近そんなシチュエーションとはご無沙汰だ。恍惚が愛おしい。恍惚が羨ましいよ、高校生。とりあえず、ポッキー買おうかな。

    

イマジナリーサマー

 

◆「渡る川の流れ」「手には虫かご」など。夏らしい情景って、どこかノスタルジーがあるのに実際そんな記憶はないのよね。

 

◆前の記事で「どうせ今年の夏も何もしないんだろなあ」なんてボヤいた。

    しかし8月が終わって振り返ってみたら、今年は山にも行ったし海にも行ったし、会いたい人には会ったし、インターンも行ったし、年相応の夏を普通に堪能してた。研究が進んでないということを除けばよお!

    夏、してたじゃん、私。だったらどうして、「夏を堪能した」っていうハートワーミングな感情が残ってないのかしら。渡る川の流れを見なかったから? 手に虫かごとか持たなかったから?

 

◆ひとつ考えられることとして、いつも通りの「楽しいこと」はしたけれど、普段はしない「新しいこと」はやらなかったから、というのがある。山も海も行ったことはある。会いたくて会った人だって、別にこの夏限定のプレミアムパーソンというわけでもない、いつでも会える。夏だからこそやれること、この夏こそは始めたいことに、結局手を出せなかった。

    歳を取ると新しいことに手を出すことがとても億劫になり、また怖くなるらしい。正直それはひしひし感じている。どれもこれも「やってみたい」で終わってしまって、一向に行動に移れない。

 

◆Q:なぜか → A:時間がないから

 

◆無論それは言い訳でしかない。デキる人は時間を捻出する。私はすぐスマホをポチポチいじる。そういうところでチリツモ式に差が出てくる。

    やろうやろうと気だけ走って、腰掛けた途端に「今じゃない気がする」と脱力する。そうして今年も夏が過ぎ去っていく。この夏こそはと思い描いたイマジナリーサマーを叶えられないまま、安心安全の「楽しい夏」を堪能する。つまらない人間だな。

 

◆そうは言っても夏は帰ってこない。また1年待つしかない。あんなに鬱陶しかった暑さも、陽光も、秋めいた今となっては物足りなくて、なんだか侘しい。

    今年の夏こそは! って夏が来る直前に思い立つのがそもそも遅いんだろうな。今からだよ。今から来夏を思って行動するんだよ。きっと来夏には内定もゲットして、もっと心穏やかに夏を堪能できるはずなんだから。

    とはいえ秋も冬も堪能したいしね。まずはそれを考えないと。そのために今は、過ぎ去っていく夏を思い返しましょう。皆さんの夏は、いかがでしたか? 憂鬱と気だるさはサイダーで割って、話をしましょうよ。

    

 

23才の夏休み

 

◆夏が来ただって 今年も 僕はきっと何もしないです。しないです。

 

◆今年もまた一つ歳を取りまして、中坊のころよく歌っていたかまってちゃんのあの歌あの歌詞のそのままになってしまった23歳の夏休み。そも23歳になっても夏休みがあるなんて思ってもいなかったけど、ありがたいことにいまだモラトリアムを享受している。

     同期の多くは就職し、給金を得ている。夏休みなんてない。風に乗って流れてきた噂には、中学のとき嫌っていたアイツが、結婚してもう子どももいるよ、あくせく働いているよと、そう聞かされた。

    私はどうだ。ろくすっぽ研究もせず、高給なバイトだけをして、麻雀で大敗し、シーシャでバッドをキメている。溜まり溜まった陰鬱をTwitterに吐き出して、最高の夏をインターネットで台無しにしている。

 

◆ある晩、悪友から電話があった。仕事に就いた悪友は、ひたすらやるべきことを、やらねばならないことをこなし続ける日々に辟易していた。

「私には、何かをやろうとすればやれるだけの才が人よりはある、その自覚はある。でも、それをするだけのエネルギーがわかない。日々に忙殺されて、それだけで精一杯になる。わかるでしょう? だって君も同じなんだから」

    悪友め、誰よりも私を知りすぎおって。長くを過ごした家族でさえ気づいていない私の怠惰を、いとも簡単に見抜いてくる。

 

◆何者かになりたい気持ちばかり先走って、何者にもなれない無力に打ちひしがれて、追い打ちをかけるように今年もまた、夏の日差しはひどく容赦がない。これだけの金と時間があってもなお、生きているだけでエネルギーは目減りし、やりたいことを見つけるための余力が残らない。

    『やりたいこととやるべきことが重なるとき、世界の声が聞こえる』 かつて銀河美少年に教わった言葉は胸に刻まれてこそあれ、真価を発揮する日は、いまだやってこない。

 

◆今年もまた彼に会いに行く。もう三年経った、何が変わっただろう。彼に会って何を言えばいいだろう。ああ、まあ、私周りでのことなら彼に言わなきゃいけないことは山のようにあるし、彼のことだ、おおいに喜んでくれるだろう。あの悪どい笑顔がありありと目に浮かぶ。

    私も誰かと付きあったら人が変わるかしらと聞けば、悪友は言うのだ。「幸せな君は、きっと誰よりもつまらないよ」 んなこと知ってんだよとは言えなくて、夏。

必携の緊張

 

◆「これを恋と呼んでいたらキリがないな」と思うようになった。でもそれは、大人になった証ではないんだよな。

 

◆研究室の先輩の女性が、気さくな方で話していてとても楽しい。一つ上ながら私はタメ口混じりで話しかけているし、向こうもそれを気にせず応じてくる。何というか、母校の人と同じ匂いがする。

    飲み会で酔うと距離が近くなったりね、そういう人なんですよ。高校生の頃だったら間違いなく落ちてましたね、恋に。だって阿呆だったから。段違いの勘違いにドキドキしてたでしょう。

    (この人です)

 

◆小中高大と共学だったからか、異性と接することは何とかできる。それでもいまだに心のどこかでちょっと照れるというか。照れか?

    やっぱり異性は「異性」というだけで別の意識が湧くんですよ、性欲とも愛欲ともつかない緊張みたいなのが。その先輩に対してはこの緊張が露骨に顕著で、このもどかしさを、漫画だったら恋とか愛とかと呼ぶのだろうなどと思ったりします。

    しかし最近気づきました。これは恋ではないな。それは異性と接する上で必携の緊張であって、こういうのを恋と呼んでいたら、キリがないな。

 

◆みんなこれにもっと早くに気づいたの!? すごいね!! 私は二十歳になるまで気づかなかったよ……。 恋愛経験が年齢に伴ってないオタクはこれだからダメ。

    やっぱりどう足掻いたって他人の、しかも異性の心根なんて掴みきれんのやし。半歩引いて接するくらいが人と人とにちょうどいい距離なんだろうな。

    でも「これは大人になった証ではない!」とはっきり言わないといけない。あくまでガキから脱出しただけで、やっと半人前。その先には、じゃあ本当に好きってなんなのみたいな話になってくるから。


◆この考えは間違ってはないけど、この考えに固執したらそれはそれで、どの女性に対しても違う違うこれは違う……ってなってしまいかねない。阿呆なオタクは0か1かの考えしかできないから。

    ちなみに先輩には彼氏がいます。もしいなかったら、もしかしたら、この考えに至れず同じ過ちを繰り返していたかもしれないね。オタク、怖いね……。

    先日、ある男とサシ飲みするつもりで声をかけたら、最終的にカップル×2と彼氏持ち×1と私みたいな飲み会になって、延々幸せを聞かされる回になってしまった……。 久しぶりにこれで締めよう。恋がしてえ。

    

オタクは明坂聡美を笑ってる場合か?

 

◆タイトルに特定個人の名前を出して強火で炙るの、オタクのお気持ちエントリらしいよな。

 

◆最近「名前を知ってる有名人」の【ご報告】が増えた。特に追っかけをしていない私には「めでたいねえ」くらいの気持ちしかないが、人によっては相当な衝撃らしい。

    確かに先日の竹達彩奈さん・梶裕貴さんの結婚報告は、『けいおん!』からオタクになった身としては感慨深いことではあった。それを差し置いても、外野が騒がしい。

 

地震が起きたら竹達さんのあのツイートをRTする様式美があるように、近頃声優が結婚すると、オタクがこぞって明坂聡美さんのアカウントへ走るという様式美がある。ご本人がアカ名に「令和は嫁ごう」などと枕詞をつけているのだから、仕方ないところもある。

    未婚自虐はずっと昔からあることだ。今田耕司さんだって久本雅美さんだって、あるいはここに列記するのもおこがましいが、私だって「彼女がほしい」とよくネタにする。

    いやオタク、笑ってる場合か? そもそも笑っていい代物なのか? 思っているよりそのネタは、ずっとずっとセンシティブな気がするぞ?

 

◆未婚自虐・彼氏彼女いない自虐が「周囲の期待に応えるために」行われているなら、それは相当危険な気だ。自虐を自発的にやっていると思い込んでいたら、いよいよ末期である。

    好んで一人でいる人間は(そういう人間は確かに存在する)さておき、本心ではパートナーを求めていながら不遇を自虐し、あるいは他人の自虐を笑うの、間違いなく精神衛生に良くない。それは負のスパイラルになって、共々沼に堕ちてゆく。

    なのでオタクは明坂さんを笑っている場合ではない。はなから結婚する気がないにせよ、本心では結婚したいと思っているにせよ、だ。ツイッターランドはいつだって禍々しいけど、いつまでも足の引っ張り合いをしてる場合じゃないのだ。大人にならないと。

    

◆私の周囲は相変わらず幸せが遍在しており、大変結構である。歳も歳なので迂闊に「愚痴を聞かせてくれ」とも言えなくなった。早く結婚してくれ。

    隣人たちにせっつかれて焦りがないわけではない。おいオタク、気を抜いていると次にやってくるニュースは「名前を知ってる有名人」の【訃報】だぞ。私たちは着実に歳をとっている。もう少し気を引きしめろ。

声音

 

◆女声に憧れてる。


やくしまるえつこaiko、fhanaあたりが特に憧れる声。甘くて優しくて聴いてて耳が溶けそうになる声。男声で言うと平井堅槇原敬之の系統。岡本知高はちょっと別次元。

    あるいは椎名林檎倖田來未浜崎あゆみみたいなキンとした鋭利な声も好き。鋭利な、って表現がとてもしっくりくる。ああいう声で歌舞伎町の女王とかevolutionとか歌えたら楽しいんだろうな。

    いわゆる女性声優のアニメ声も特徴あって好き。最近はミリシタの七尾百合子やバンドリの弦巻こころの役をやってる伊藤美来の声がすごいクセになってる。「Princess Be Ambitious!!」で1人だけすごい響いてて可愛い。

    昔からわりと声フェチだった。だから初めて自分の声を録音して聴いたときの絶望ったらなかった。


◆特に自分の最たる音楽趣味であるボーカロイドの曲は可愛い曲が本当に多い。ワールドイズマイン、メランコリック、スイートマジック、おねがいダーリン……。可愛い声出せたらなあと思ってしまう。

    ボカロに限らず、たとえば先に挙げたミリシタの楽曲「Princess Be Ambitious!!」や田村ゆかりの「Fancy Baby Doll」みたいなガッチガチの女の子曲とかも歌いたい。世界一可愛いって言われたいじゃん。


◆しかし得意な声マネが若本規夫とかニャンちゅうとかいう低音域男声の私だから、めいっぱい喉張って高い声を出したとしても、その声は可愛くはない。

    別に可愛くなりたいわけじゃない。可愛い曲を可愛く歌えないの、もったいないというか、もどかしいというか。楽器が曲に合わせた音色を奏でるなら、声音だって然るべきだと思う。

 

◆私の声ってどんな風に思われてるんだろう。低い声って落ち着かせるとか安心感を与えるとか言われるけど、どうなんだろうか。

    顔と同じくらい人の声って千差万別で、しかも顔ほどにその特徴で褒めたてられたり謗りを受けることがあまりない。実に面白い個性だと思うの。

    世にある多数の声音のなかで私の声音がどの立ち位置にあるのか。誰かを魅了するほどの力があるのかしら。

 

◆ところで私は、意中の男性に大して突然声を高くして「きゃ~~~♡」ってやる女性の声が好きです。あれどうやって出してんだろ。あと電話口だけ突然声が高くなるやつも好き。あれ何で高くなるんだろうな。 

    立憲民主党の枝野さんは、普段はテノール領域の高い声だけど演説のときは意識的に低くしてるとか聞いたことがある。やっぱり使い所で声をいじるの、意識してかないとな。

 

『可愛さふりまくスキルを覚えた! 使うシーンが見当たらなかった……』(初音ミクの暴走)

 

    『使い所』来い、頼む。

    

必要

 

◆人生には無駄な時間が多すぎる。

 

◆会えば必ずコンテンツ論を交わす旧知のオタク。たびたびツイートや当ブログに出現し、その度に「俺の発言を書くな」と怒られるのだが、書く。

    5月12日、コミティア開始の待機列で始まったのは「人生には無駄な時間が多すぎる」という話だった。

『漫画に限った話じゃないけど、コンテンツには無駄なシーンがない。必要なシーンだけが選択されている。一方で、人生には無駄な時間が多すぎる。爪を切ってるときとかな』

    無駄な時間、のたとえが秀逸すぎだ。詩人みたいなことを言うな。私の立つ瀬がないだろう。

 

◆爪を切る動作は決して無意味な時間ではない。伸ばしっぱなしの爪は不健康で不衛生だ。だから決して無意味じゃない。でも、面倒な時間だ。

    無駄なことはあっても無意味なことはないとは誰のセリフだったか。麻雀もシーシャも、コンテンツを摂取することも誰かの惚気や愚痴を聞く趣味も、人生においては全くもって無駄な行いだがちっとも無意味ではない。よしんば誰かの目には「無意味だ」と見えてしまったとしても、私が有意義だと叫べばたちまち有意義になる。私の有意義は私が決める。全ての行いに神の視点から決定権を下す。

 

◆無意味の対義として有意義を使った。では無駄の対義として「必要」があるとして、私にとっての「必要」ってなんだろう。

   たとえば衣食住がそうだろう。しかしそれは人類全体に必要なことであって、私の人生に限ったことではない。私の人生においてのみ必要なことなんてあるのか? 一個人の人生にのみ必要なエトセトラって一体なんだ???

    旧知のオタクは『コンテンツでは必要なシーンだけが選択されている』と言った。しかしそれらはコンテンツを成立させるために必要なシーンだ。作中のキャラからしたら、取るに足らない日常の一コマかもしれない。生存戦略埒外にある「必要」は、神の視点からすらも定義できないんじゃないか。

 

◆ア゙ッッッッッ!!!!!

 

◆もしかしてここで「恋人」が出てくるのか?????

 

◆……もちろん、人生における「必要」は人それぞれだろう。恋人、仕事、趣味。無くても生きていけるけど、無ければ死んだも同然と。

    生きるって「必要」を探すことなんだな。だから私の人生にはまだ色がないんだ。これが無ければ死ぬ物なんて、今のところ持病の薬くらいしか思いつかない。

   ウルキオラは、死に際にようやく「心」に気づいた。そんな手遅れにはなりたくない。22年でまだ見つけられていないのだから、きっとそれを探す力が私には足りてないんだろう。私の井上織姫を、それを見つける手助けをしてくれる人を、早く見つけないといけない。私の「必要」は、気づかないだけですぐそばにあるはずだから。