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痔瘻入院記 ~おしりに2つ目の穴ができちゃった~

 

◆こんにちは、ぷるーぶです。

   実は先日手術・入院してました。おしりに2つ目の穴ができるというトンチキな病で。病名を痔瘻(じろう)」と言います。

   こういうシモの話はオープンに語られることがそう多くはないと思うのですが、誰でもなりうる病とのことで(特に30代男性が多い)、いつかの皆さまに少しでもお役に立てればと思い、記録を残しておこうと思います。

病気の都合上、どうしても汚い話(特にうんち)が多くなります。ご注意ください。

 

 

1.発覚~入院前検査

◆2023年の中頃から、おしりの肛門付近にできものがあることを感じていました。しかし、痛みを感じなかったため生活上の不利益がなく、何ヶ月か放置していました。

    8月初旬、会社でトイレに入り、用を足しておしりを吹いたところ、出血を確認。便には血が混じっていなかったので、かねてよりのできものが裂けたのだろうと判断。この時点ではいぼ痔、ないし切れ痔かなと思っていました。

 

◆8月中旬、家の近くの肛門科クリニックで、おそらく「痔瘻」であると診断されました。

    痔瘻とは、おしりにたまった膿(うみ)を排出するため、直腸から肛門括約筋を貫通するようにしておしりの表面にまでできるトンネルのことです。これにより、おしりに2つ目の穴が空きます。詳細はこれが詳しいです。

 

痔瘻は自然治癒されない病のため、根治には手術が必要です。手術は専門の大きな病院でしかできません。近所のクリニックでは、大病院への紹介状を書くため、手術前検査をいくつか行います。

    2023年の後半、MRI検査により瘻管(痔瘻のトンネル)が発見され痔瘻が確定します。また、大腸検査も実施し、クローン病という別の病気にかかっていないことも確認(詳しくは忘れましたが、このクローン病が併発していると手術ができないそう)。これにより大病院へのチケットを獲得します。

    余談ですが、大腸検査の結果、過敏性腸症候群の気もあると言われました。ハタチの頃から下痢症だったこともあり納得。痔瘻は「よく下痢をする人」「よく酒を飲む人」「男性」がなりやすいらしく、役満じゃねえかとしょんぼり。

 

◆12月、ついに大病院にかかります。こちらでも簡単な検査をして、即日入院日が決まりました。たまたま会社の長期の休暇が残っていたので、それを当てました。さようならホリデイ。

 

2.入院・手術

◆年が明けて3月上旬、7泊8日の入院が始まります。入院1日目は、簡単な検査の後、病院食による食事のコントロールと下剤の服用により、腸内の便をすっからかんにしました。

 

◆2日目の午前、ついに手術。当日は食事を取れず、水も朝方を最後に断水して臨みます。

    さて、痔瘻の手術」ですが、直腸からおしり表面までのトンネルをどうするのか。素人考えでは「何かで埋めるのか?」と思います。しかし、トンネル内部は自然治癒できないほど汚く、埋めても仕方がない。じゃあどうするのかというと、トンネルごとおしりの肉をくり抜くのです。「肉をくり抜く」? は???

    先のNHKの記事の図がわかりやすいですが、括約筋温存術といい、肛門括約筋の機能を残すように、できるだけ切除部位を減らした手術を行います。

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    手術は腰椎麻酔(下半身のみの麻酔)で行われるため、意識がはっきりしたまま肉が削がれていきます。電気メスで肉を焼き切る臭い、怖すぎ。

    術後、先生が切除部位を見せてくれました。かつて私だった肉、そんなもの見せるな(私はそういうの興味津々なので嬉しかったです)。

    

◆術後、病室に戻り、翌朝までベッドで寝続けます。腰椎麻酔の影響で上半身を起こせず(頭が痛くなるらしい)、また尿道カテーテル(最悪)も繋がっており、なんにもできません。ずっとスマホいじってました。

 

3.術後

◆翌朝(入院3日目)、尿道カテーテルが抜かれ(激痛、最ッッッッッッッ悪)、晴れて自由の身。この日から、退院に向けた生活指導としての入院療養が始まります。

    食物繊維豊富な、栄養価がしっかり考慮された病院食と、1日1.5リットル以上の飲水。そして、患部療養のため、日に数回お湯に患部を浸す座浴。これを繰り返し、術部の良化を図ります。

    なにせ直腸や肛門括約筋の一部を切除しているため、排便が非常に苦しい。それどころか、括約筋は普通に生活していても常に動くし、座ると座面に患部が当たったりでまあ痛い。それらに耐えながら入院生活を送ります。

    幸い、入院生活で上記以外には大きな制限がなかったので、この間は映画を見たり漫画を読んだりと満喫しました。

 

4.退院後

◆退院予定日、術後経過良好のお墨付きを貰い、晴れて放免。シャバの空気が美味いぜ。

    退院に際しての最大の懸念は、再び出血すること。下手すれば救急搬送、再入院からの再手術になりえます(注1)。お医者さんからは、術後数週間は下記厳守と命じられました。

・運動をするな、というかなるべく動くな

・食生活や飲水に気を使い、毎日いいうんちを出せ

・酒を飲むな、まじで酒を飲むな

    幸運なことに在宅勤務ができる仕事だったので、4月いっぱいは在宅勤務で、患部をいたわり続ける予定。とはいえ、早くお酒が飲みたいね……。

 

5.後記

◆生来下痢症で過敏性腸症候群の気もあるくせに、米食を嫌い小麦メインの食生活、これでもかと入れるにんにく、記憶を飛ばすほどの泥酔。それが腸内環境にいいはずもなく、齢27にしてこのザマです。

    手術・入院ともこれが初めての経験だったのですが、体にメスを入れる行為は、たとえそれが命に関わらないものであっても、ないに越したことはないですね。ハンデを負って生きる生活は、大なり小なり難儀なものだと、今痛感しています。

    若いうちは多少の無茶も何とかなると、若い人は思ってしまうことも多々あると思います。私の場合は、おしりの肉を少し切除するだけで済みましたが、別の何かで、この程度では済まされなかった可能性も十分にあります。皆様、どうか健康には気を使ってください。

 

◆最後に、痔瘻という病について、今回私が先生からお聞きしたり、自分で調べたり体験したことを少しだけ記しておきます。

 

・この病気は、いわゆる痔とは違い、排便の問題(硬い便や下痢)のコントロールで予防できるものではないそうです。乳児痔瘻という病気もあるほどで、下痢しやすい人ほどなりすいのはそうですが、排便に問題がなくても誰でもなりうるとのことでした。

痔瘻による2つ目の穴、また術後のおしり表面の術部から、膿や組織液の漏出があります。当然下着に汚れができるため、痔瘻患者は生理用ナプキンを使うことが多いです。男性でもナプキンを使うことがあることを、知ってくれると嬉しいです。

痔瘻は発生しても症状がでにくいです。おしりに穴ができますが、痛みもないことがあります。しかし、放っておくとまれにがんになることもあるそうなので、できるなら早めにお医者さんにかかるとよいです。

 

    以上、痔瘻入院記でした。関わってくださった全てのお医者さん方と、日本の社会保障(これだけの手術入院にしては安すぎた)に感謝して、健康な生活を心がけて生きていきたいと思います。

 

 

 

 

注1:ちなみにぷるーぶは退院したその日の夜に大出血を起こし、部屋中を血まみれにしたまま病院に出戻り、止血のための再手術と、3日間の追加入院を食らいましたとさ。

縁の繋ぎ目・縁の切れ目

 

◆この二月に二回、友人の結婚式に招待されて参列した。結婚した二組四名全員のことを高校生時代から知っていることもあり、非常な多幸と感慨深さとがあった。

 

◆親しい友人が、着慣れないであろう眩い礼服やドレスに身を包み、やや強ばった表情でその道を歩く様は、どこか可笑しくもあったし、しかし輝かしかった。まいった、写真フォルダがパンパンである。

    不思議なことに私の母校では、なんでもない日でも一眼レフを振り回している生徒がクラスに一人はいたので、十代そこいらの青くさい写真が今でもわんさか出土する。翻って、式で撮った写真に映るのは、大人の振舞いや魅せ方を身につけた友人たち。十年はしっかり流れていた。

 

 

◆当たり前だけれど、高校を出てからの十年、彼らと逐一会っていたわけではないし、普通は先の進路で新たな出会いを通じて新たに友人を増やしていって、古い友人との付き合いは疎遠になっていくものである。結婚にしたって、基本的には新郎か新婦、どちらかの友人として参列するもので、相手のことは知らない場合が多いのだろう。

    そんな中で、私から見て、親しい友人と親しい友人が結婚するというのだから、こんなに嬉しいことはない。最高ハッピー。

    出会った当初から彼らが結婚するとは到底思ってなかったし、その式に呼ばれるほど自分が仲深くなれたのも結果論かもしれない。でもどこかで何かがあって、今日まで続く縁ができた。

    そうすると、結婚式というのは、新郎新婦が主役の一大イベントではあるけれど、新郎新婦と参列者一人一人の「縁の繋ぎ目」を示す儀礼でもあるのかもしれない。

 

◆一方で、不思議なことで、その「縁の繋ぎ目」たる結婚式で「縁の切れ目」を感じることもあった。

    二組目の結婚式は、同じクラス・同じ部活で結婚したものだから、参列者同士もプチ同窓会のようになった。そんな中で、ある一人が別の一人に向けて「もう二度と会うことはないだろうね」と話していたのが妙に心に残った。

    プチ同窓会と言っても、顔も名前も覚えているけど当時からそんなに話もしてないしな、くらいの人はもちろんいる。そういう人とも縁ができるというところが「学校」のすごいところで、そこを出てしまった今、その縁はとても希薄だ。

    あの言葉は確かに「縁の切れ目」だった。二人は本当にもう二度と会うことはないだろうし、それは二人になんら不利益や不和をもたらさないだろう。ただ、縁が切れる瞬間を見た衝撃は大きかった。

 

◆結婚にいたることもあれば、もう二度と会うこともなくなる。縁は偶発的にできるくせに、変に長く持って、しかし意外と簡単に切れてしまうものなんだと、たった一日でわからされた。

    結婚式の話題で縁の切れ目の話なんかするなというところだけれど、この度の新郎新婦の皆様には、どうか末永くお幸せにあってほしい。そして私との縁についても、これからもどうぞよろしくお願いしたい。この縁は、決して切りたくないので。

The greatest 停滞 (2023年を振り返って)

 

◆瞬間最大風速を日々更新し続けた2023年。今年は、間違いなく間違いなく、人生で一番幸せな一年だった」去年を、やすやすと飛び越えていった。

prooooove.hatenablog.com

 

    しかも今日で生まれて10000日らしい。随分と長く生きたように思える。

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    こんなに幸せな日だというのだが、しかし同時に今年は、大きな凡庸をも生み出した。

 

◆「本当につまらなくなった」「キレがなくなった」と方々から言われるようになった。おもしろかったんだ昔の私、という一抹の安心こそあれ、そう言われても仕方ないと最近はひしひし感じている。現に今も、白地のこの記事に何を書こうか考えあぐねあぐね、思ったように言葉が出ない。ひと月に2本、年に24本も記事を書いていたあの頃が信じられない。

 この1年、何もなかったわけじゃない。ただ、話の肴になるほどバリエーションに富んでいない。話のカテゴリとして「最高ハッピーYeah~~~!!!」があったとしたら、そこに全部入ってしまうようなものばかりであったので、一言「最高ハッピーYeah~~~!!!」と放てばもう事足りてしまうのだ(これは私に限らず、周りの話も含めだ)。

 

◆そうして生産のリソースを失うと、当然出力が減る。日々のツイートも、このブログの記事も、格段に数が減った。形として残そうと思えるほどコンテンツたりえる要素に欠けると、自省し、自制してしまう。翻って、Twitter崩壊からの避難が目的だったはずのInstagramでの更新が増えているのだ。周りと大差ない、一定光量の煌めきだけを見せて、一昔前の私なら確かに鼻で笑うだろう。

 今年も間違いなく人生で一番幸せな一年だったけど、今年は間違いなく人生で一番何も生まず、停滞した一年だった。何かを成し得たと思えたことがほとんどないままだった。

 

◆別にそれでいいはずなのだ。やるべきことをやっていれば一日が終わるような毎日が続いたとしても。それでもまだ、何かをしたいと思えるような、胸につかえるわずかな心残り。二年前に問いかけられた「あんたとデカいことがしたい」、そう大望でなくとも、些細なことであっても、もうちょっと、何かを。 

prooooove.hatenablog.com

 

◆こうして今年の停滞を省みると、明確な目標も無しに生きていたから何も成し得なかったのかなと感じる節がある。そして、来年の目標を三つ打ち立てた。一つは、日々きちんと続けていれば達成できるもの。一つは、怠惰が重なり長年放置していたもの。そしてもう一つは、まあできればいいなくらいのもの。

 恥ずかしいので明記はしないけれど(そうして年末には忘れそうなんだけど)、先の二つは達成したいなと思っている。一つ目は、それでブログに載せるかというと怪しいけれど、二つ目、三つ目は達成できたらそれなりに面白いだろうな。

 一年、ぼんやり生きていたのにこんなに楽しかったのはあまりにも幸せ極まりないことだった。それでそのままでもよかった。けれど、主格を失っていく焦りは確かにあった。来年は、小さくとも大きな一歩を踏み出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

27歳も、子どもみたいに

 

◆老いて体力を失っていくという、10, 20歳離れた先達からの金言を聞きあきるほど受け取りながら、今年も1つ歳を重ねてしまった。確かにみるみる体は衰えているが、よもや精神的にも老いるとは聞いてはいなかった。

 

◆4月頃から仕事が指数関数的に忙しくなり、毎月残業規制目いっぱい、夜勤や休日出勤もあったりして、いつを生きているのかわからない不毛のスケジュール。娯楽を楽しむ心の余裕も失われて、近頃では漫画もろくに読めていない。

    それでも心躍ることは多かった。今年に入って同期たちの入籍の嵐。15歳の幼きを知っている彼ら彼女らが、大人の顔をして誇らしげにリングを輝かせる様は、とても喜ばしく、どこか気恥しさもあった。

    おめでとう! 本当に嬉しいよ。男子三日会わざれば、とは言うけど、十余年も経てば男も女も関係ないね。

 

◆先の記事の通り、私も彼女と付き合って1年が経った。彼女のこともまた、15歳の頃から知っているし、それは私を見る彼女も然りだ。

    周りの友人たちはやけに大人びて見えるけれど、翻って私たちの過ごした日々は、高校生だったあの頃とあまり大きく変わらないように思える。車を回し、お酒を飲むようになったけれど、あの頃より少し楽しめるものが増えただけで、それらを楽しむ心持ちにはあまり変わりがない。

    老いたはずの体も心も、彼女といるとたちまちあの頃に若返るのだから、こんなに愛おしい時間は無い。

 

◆不可逆だったはずの時間が、ある一時だけリスポーンする。この感覚を知って、ようやく大人になったと言えるのだろうか。

    ここ数年は歳をとるのも見栄えがしないというか、30歳になったら何か思うところもあるかもだけれど、26歳が27歳になってなんだという? 

    ただ、その感覚を知るためにある程度の加齢が必要だというなら、なるほど、歳をとることも、過去を懐かしみ、あの頃と同じように振る舞うのも、悪くないのかもしれない。

 

◆8月5日の夜、山梨は石和温泉駅前で食事を終えて外に出ると、夜空の遠くにぱぁんと何かが爆ぜる音がした。どちらともなく私も彼女も、音の鳴るほうへ走っていった。

    開催を知らなかった花火大会にたまたま立ち会えた。ローソンの駐車場には近くの旅館からわらわらとお客さんが集まって、みんなで一緒に同じ方向を、闇に煌々と輝く花火を見あげた。

「花火に向かって走るなんて、子どもみたいだね」

    あと数時間でまた1つ歳をとる私に向かって、彼女が笑ってそう言った(マジで言った)。そうか、いいんだ別に、子どもみたいでも。楽しいんだから。

    くだらない毎日でも些細なことで楽しめるように、これからも童心をキラめかせていこう、あの花火のように。

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眩いセーブポイントを目指して

 

◆ふざけた蒸し暑さがひとときごと体力と気力を奪っていく。日差しは本当に肌を焼き尽くしているようで。それでも夏が好きだと言い続ける、意地を張ってでも。まあ、冬よかよっぽどマシ、寒い方が嫌い。

 

◆ちょっと早いんですが、彼女と付き合って一年が経ちました。

    これから、夏が来るたびにこういう思い起こしができるという喜びに浸っています。まもなく誕生日も迎えることもあるし(それはそこまで感慨もないけれど)。

    関係が始まってからは築浅だとしても、出会ってからの時間は相当に長いものなので、それなりに相手のことを知っているつもりでいたのですが、ああやはりそうではないなんだなと知らされる一年でした。それはきっと、これからも。

 

◆二人で行った場所・風景・食事、そして彼女の姿が、写真フォルダに溢れかえっている。それを定期的に見返す自分。撮りすぎた写真の数々が、様変わりして見事凡庸になった自分を証明している。

「つまらなくなった」と痛烈な祝辞を貰うことが増えた。幸福を享受してばかりの体たらくになったことは間違いない。こんな風になってしまうなんて、とは思うが、その一方で、ちゃんとこうなれるんだ、とも思う。

   

◆近頃、ついに同期の結婚式へのお誘いもいただくようになった。いわゆる”アガリ”だ、本当におめでとう。そこはゴールではないにしても、いくつかあるセーブポイントのうちでは、最もわかりやすく、そして眩いものだろう。

    きっと私は別のセーブポイントの方が合っているんだと思って歩いていた。しかし、もしかしたら、輝かしいそちらへ行けるのかもしれない。三十代へ着々と体は老いていく中、舗装されていない泥濘を踏みしめてひいこらと、少しずつ軌道修正を図っている。

 

◆私のゴールはどこにあるのだろう。この歳になっても、自分の選択に自信を持つことがずっと難しいままだ。

    私の2年目、もとい12年目が始まる。これまでの私の選択に後悔を産まないよう、そしてこれからの選択に自信を持てるよう、少しずつ変わっていきたい。そんな変化の夏。

    

    

オトナブルー

 

◆3度目の春が来る。住む場所が変わり、新天地で初めての桜を見た。前宅では結局2回しか見れなかったけど、この桜はあと何回見れるのかな。

 

◆旧知のオタクとの2年続いたルームシェアを解消し、先月頭より完全一人暮らしを始めた。家に帰れば友達がいる、という生活を離れてから2ヶ月ほど経過して、最近「大人ぶる」仕草や感情が自分の中に芽生えていることに気づき、悶々としている。

 

◆数年前まで、ぽつりぽつりと遠くから聞こえていた結婚の話が、一等親くらい近い距離の友達からももたらされるようになった。

 もう27歳になるもんな、今年の年末には、出生10000日になるらしい、節目も節目だ。母は確か、この年くらいに結婚して、28歳で私を産んでいたはず。もうそんな歳になってしまったんだな。

 ちょっと前に、子どもがいないと自分の「老い」を実感できなくなる、みたいなツイートを見た。すくすくと育つ子どもを見て、親は相対的に自分の加齢を感じるらしい。それがないと、大人は、心だけの若さを引きずってしまう、とか。友人たちがまた1つコマを進め、在りし日の母がもう子どもを産んだという事実を鑑みるに、私も少し大人びないといけないのかな、なんて考えてしまう。

 

◆仕事にしてもそうだ。来週から2世代目の後輩ができることになる。もう「最若手ゾーン」からは出てしまうんだな。何をやっても許される免罪符は、無くなってしまうんだな、やだな~。

 仕事もそうだし、この間の引越しの手続きをしているときにも思ったけど、「自分はちゃんと社会生活をできる人間ですよ」と示しを見せないといけない機会がこの世には多すぎる。別に失敗したとて人生が終わるわけじゃないとはわかっていても、うっすらとした緊張、ぼんやり感じる視線が、いらんプレッシャーを与えてくる。

 こういうことの積み重ねから少しずつ経験を積んで「大人」ができあがる、今まさにその只中にいるんだろうな。中学・高校時分からあんなに楽しくわちゃわちゃしていた友人たちも、なんだかんだこういうことをちゃんとやってるんだよな。すごいな、みんな。がんばってるじゃん、私。

 

◆仕事や公的手続、結婚・出産、そうした「歳をとったから発生するタスク」をこなしたり聞いたりして、心は子どものままなのに体裁を気にして大人ぶっている。その後、1人には広すぎるこの家に帰って1人ぼんやりしていると、嫌でも、もう子どもではないんだと気づかされて叫びそうになる。もっと子どもでいたいけど、でも、大人は大人で楽しそうなところもあるんだよな。過渡期、怖え~~~。

 でも、この過渡期も、この年代の3, 4年しかない貴重な時期なのかもしれない。第二次思春期みたいなものなのかも。だとしたら、この悶々も楽しんだほうがお得なはずだ。小さい子どもが大人ぶるのとは違う、この歳なりの大人のふり。本当はみんなもやっているんでしょう。それを、しゃらくさいな~と思って笑いあいたいよ。

 もう少しだけ、心は子どものままでいようかな。コマを進めるのは、まだもうちょっと後でもいい。そんな3度目の春でした。

 

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転転転世

 

◆これは何も無い部屋にキャンプ椅子と「酔鯨」だけがある新居。

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◆諸々があり、転居した。

   入社を機に実家を飛び出し、中学からの友人である旧知のオタクとルームシェアを始めた二年前。マジでこのまま人生何もないまま、オタク同士で十年二十年過ごしていくんだろうなとぼんやり考えていたのに、意外と早く別れは来てしまった。

    ちょうど旧宅の契約満期だったのに合わせてオタクハウスを飛び出し、今度は関東有数のオシャレタウンの片隅に居を構えた。街がずっとキラキラしていて怖い。まだこの街にこれから住むという覚悟を持ちきれていない。

 

◆旧宅と新居がそこそこ近い距離だったので、ハイエースをレンタルして自力で転居した。せいやそいやと積んでみたことろ、私の荷物はちょうどハイエース一台に収まりきってしまい、2年過ごしてこれっぽっちかとちょっと悲しくなったり。

    新居での荷降ろしには遠くから両親が来てくれて一緒に手伝ってもらった。生活必需の日用品を何一つ買い揃えてなかったり、高い金を出して買った洗濯機がドアの間口よりデカくて入らず、目の前で返品になったりと、ダメ息子の計画性の無さをまざまざ見せつけてしまい、しっかりと呆れと心配とをいただいた。ほんともうさあ……。

 

◆右往左往四苦八苦しながらなんとか転居を終え、両親も見送り一息ついたので、これを書いている。

    ついにこれから、本当の「一人暮らし」が始まる。ちゃんと自炊するぞとか、ちょっとは運動しないとなとか、いい加減資格も取らないとなとか、新卒さながらの希望あふれた気持ちでいる。いるけれど、現実はもう三年目だし、仕事はめちゃくちゃ忙しいし、どうせ何もなしえずになあなあに生きてしまうんだろうなとも思っている。

    どの道、生き方や生活を変えるには何より自分の強い意志が重要なのだろう。転居はきっかけでしかない。変わりたいと思うなら、変えてやると覚悟するしかない。

 

◆明日は冷蔵庫や電子レンジが届く。ネット回線も整う。一通りのインフラ整備が終わる。いよいよ私だけの「私の城」ができあがる。

    やってやるぞ、丁寧な生活。誰か来ても恥ずかしくない家を作り、人生をやる。転居初日くらいきちんと覚悟を決めよう。がんばるぞ。

    そんなわけで、転居記でした。皆様、ぜひ遊びにお越しください。